2006-08-30

大雪山トレッキング

大雪山トレッキング

最近書いた文章です。

大雪山 アースデイ・フレンドシップトレッキング

Hokkaido Hikes代表のBush Pigにガイドしてもらい実現した旭岳から美瑛岳までの9日間の縦走の旅。今回の旅で感じたことは、水の大事さと、真のコミュニケーションの大事さ。

水の大事さについて。

Bush Pigは10年間大雪山を愛し続け、冬の大雪山にも一人で入るほどの山のサバイバルのプロだ。縦走初日朝、持って行く道具の説明をしてくれた。緊急キットがきちんと整理されて小さなバッグに収まっている。そしてその他の道具の中で目を引いたのは水ポンプだった。

トレッキングのメンバーは総勢9名で、内5名がニュージーランド、アメリカ、カナダ人という国際色豊かなチーム。9名を3名づつの3班に分けて、順番に食事、後片付け、そして水汲みを担当した。

北キツネの糞が運ぶ疫病のエキノコックスを防ぐ為に、水は常にフィルター付きポンプで汲み上げる。9名が晩御飯、朝御飯で使う約14リットルを汲み上げるのには半時間程かかる。

縦走最初の6日間は、常にキャンプ地近くに雪解け水の川が豊富に流れていた。冷たくて美味しい。

縦走7日目。朝6時にトムラウシ山のキャンプ地を出発。標高が下がり、緑が濃くなってきた。尾根伝いに歩く。素晴らしい景色。気温も上がり、幾つもの峠を越えて汗だくになる。

午後1時、その日のキャンプ地、双子池キャンプ場に到着。暑い。そこは火山岩がゴロゴロしている山の中腹で、川の水が乾いている。先に着いていた神戸の大学のワンゲル部の学生さんに聞くと、歩いて20分程の湖で水を汲み、煮沸しているとのこと。

唖然とした。昨日まで当たり前の様にあったあの豊富な雪解け水がもう無い。山の状況は峠を2-3個越えたらどんどん変わってしまうことを実感。縦走7日目で食料をセーブしていて、空腹を抑えながら辿り着いたキャンプ場での水枯れの事実にメンバー一同、力が抜ける。

木陰も無く暑い。喉が渇く。アフリカやインドで水が無い人達のことを考えた。普段は想像でしかないその状況が、その時は身を持って感じることが出来る。こんな水不足の状況が日常である生活。当たり前の様に何時でも水が飲める生活に感謝せずにはいられなくなる体験だ。

その後、前の峠ですれ違った人の情報を基に、キャンプ場をもう少し登った処に水溜り大のチョロチョロと雪解け水が溜まる水場を発見。ポンプで汲み上げ、ゴクゴクと喉を潤す。。

次の日の朝、その水場はもう干上がっていた。又昼過ぎには雪解け水が小さな水溜りを創るだろう。

その日以降、皆、少ない水を大事に使い、山を抜けた。

もう一つ。真のコミュニケーションについて。

携帯の電池が2日目で切れた。手動のラジオ兼携帯充電機も壊れてしまい、3日目からは携帯の無い生活になる。

思えば、四年弱の放浪の旅を終えて帰国して以来の二年間、携帯を肌身離さず持っていた。常にあったものが無くなり、最初は心細くなる。

3日目以降の1週間、携帯を触らないことで、今まで如何に携帯に振り回されていたかを実感する。誰かと一緒に居るのに、ピコピコとメールを打ち、常にポケットに携帯が無いと不安な生活。

9日間の間、4カ国から集まった9名全員の意識は常にそこにあった。皆と一緒に居る時も携帯を覗き込み、そこに居るのに意識は彼方に飛んでいることは無い。それは当たり前のことだけど、今の社会ではなかなか実現し得ない貴重な体験だった。

山から降りたら携帯を手放そうかと、歩きながら何度も考えた。携帯があるお陰で、歩きながら沢山の方に連絡が取れて、思わぬタイミングで知人を紹介してもらうなど、お陰でこの旅が豊かで楽しいものになっている。

携帯が無くなったら、コミュニケーション量は一気に減るだろう。でも、質は上がるのではないか。そんなことを大自然の中を歩いて考えた。

携帯のおかげで何時でも何処でも気軽に連絡が取れる。手紙を認める代わりにメールを打ち、思いを馳せる前に電話をする。インスタントなコミュニケーションにはその分、心が籠もりにくい。

今の日本で、9日間、全くの大自然に居ることが出来るのは、大雪山の縦走くらいかもしれないとふと思った。そんな環境に国籍の違う最高の仲間達と一緒に居られたことに感謝しながら山を降りる。たった9日間ではあるが、9人の仲間が今では旧知の友の様に感じる。

ドライブインに続く最後の砂利道。ここを抜けたら又、文明社会に戻る。なんだか住み慣れた田舎を離れるような気分で山を離れ、ドライブインのコンセントに、9日ぶりに携帯の充電器を差し込んだ。

翌日、イオン旭川店の食堂で従業員の方々にお話する機会があった。大雪山を愛する男、ブッシュピッグが山を楽しむ心得として最後に言った言葉は僕の心に響いた。

「山を敬う気持ちはそのまま山に伝わり、山が貴方を敬い返してくれます。」

16年間地球を歩き、木を植えているポール・コールマン氏が同じことを言っている。「木を植えて地球に愛を与えると、地球はその何倍もの愛を返してくれる。」

3年前からポール氏と活動を共にして、今年元旦からは単独で日本を歩き、木を植えて、僕も同じことを実感し始めている。

大雪山はアイヌ語では「カムイミンタラ」(神々の遊ぶ庭)と言われている。「神々の遊ぶ庭」で僕は大雪山を愛する最高の友に出逢うことが出来た。

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2006-06-21

21世紀に生きる地球人として

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先日訪問した大阪の学校法人「山口学園」に書いた文章です。ちょっと真面目な文章です。

皆様こんにちは。先日は貴校で「平和の木」、オリーブを皆様と植えさせて頂き、又お話をする機会も頂きありがとうございます。酒元理事長とお昼をご一緒する貴重な時間も頂いて、本当に楽しい、意義深い1日になりました。酒元理事長がお昼の席で、「アホとは明るく朗らかって意味なのですよ。」と教えて下さり、以降、友人にもそのことを教えています。常識的には悪いイメージの言葉も本来は良い意味の言葉だった。こんな言葉、実は沢山あるようです。そんな事実を知る時、一体「常識」とは何なのだろうと考えます。辞書には「ある社会で、人々の間に広く承認され、当然もっているはずの知識や判断力」とあります。では「地球人としての常識」って何だろう?これがここ数年、僕が考えていることです。

世界を羽ばたくビジネスマンを目指して商社に入り、インドネシアやチェコでの長期出張を経験して、日本のビジネスマンとしての「常識」を体得する内に、この疑問は起こり始めました。「自分はこのままの生活で地球人としての常識を身に付けることが出来るのだろうか?地球人の常識って一体何だろう?」この疑問を解決すべく、僕は旅に出る事を決意しました。世界を旅して、地球人としての常識を身に付ける為に。

北中南米、欧州、アジア、アフリカを旅して3年経った頃に南アフリカで出会った英国人のポール・コールマン氏は地球の緑を守る為に地球一周分の距離を歩いて木を植えている方です。

地球の3割は陸地で、その陸地の3割が砂漠で、毎年九州と四国を合わせた程の土地が更に砂漠化している現在、木を植えることは大切な事です。緑溢れる日本で育ち、木があるのが常識と思って世界を旅してみて初めて、如何に緑が貴重であるかを肌で感じて、気が付けば僕も、歩いて木を植えるようになりました。

木は水を創ります。雨水をスポンジの様にその土地に貯めて雨雲を作ってくれます。地球上の水うち、僅か0.8%の淡水で63億の人達が生きる為には緑を増やすことが大事です。そんな地球人としての常識を、ポールと出会い、地球を歩いて木を植えることで知る事が出来ました。これからも、地球人としての常識は何かを常に考えながら生きて行きたいです。「意識は行動を変え、行動が習慣を変え、習慣が性格を変え、性格が人生を変える。」鎌倉の僕の好きなお店に書いてある言葉を最後に贈ります。

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2006-05-13

旅の様子

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ソトコトに、こんな記事を書きました。

ニッポンを歩く、木を植える。

「よし、今日はここで寝よう。」誰も居ない峠の山小屋。ハイキング客の為に鍵はかけていない。テントを持っていないので、こういう場所はとても有難い。3月半ば、僕は高野山から熊野古道を歩き、熊野本宮を目指していた。約70㌔、千mの峠を4つ越えるなかなか険しい道だ。

夕方、薪を集める。初めての峠での一人野宿。最初は正直、少し心細い。だんだんと夜が更け始める。ここ数日の雨で木が湿っている。火を起こすのに苦労した。だんだんと火起しの作業にのめり込んで行く。さっきまでの心細さは無い。たった一人、間違いなく誰も来る事は無いだろう峠で火を起こしている。自分がなんだかとっても自由で、格好良く思えてくる。

その晩、何時間もずっと火を眺めていた。時々、鹿の鳴き声が聞こえる。満天の星空。元旦に旅を始めて以来、初めて、自然とガップリ四つに組んだ感じだ。

最初は不安に感じていた事が、今では一番好きな事のリストに加わる。小さなことだけど、大きな満足感。その晩は小屋の中で、これまた今までに無く、深い眠りに落ちた。山の頂で一人で眠る快感を知ってしまうと、登山家の気持ちも少し分かる気がした。

次の日は昼前までゆっくりと寝た。小雨が屋根にあたる音が耳に心地良い。さぁ、出発だ。清々しい気分で小屋を出る。何も考えず、来た道をそのまま真直ぐに進んだ。

ゴールを定めて歩く行為は、まさに人生に置き換えられる。何処をスタートして、何処に行くかを決める。ルートを決めたら、地図を手掛かりにゴールを目指す。

特に峠を越える行為。たとえ頂上に辿り着いても、行く先がはっきりしてなくて、うっかり逆に峠を降りてしまうと、出発地点に戻ってきてしまう。

これをやってしまった。地図を良く見ていれば防げたことだった。一気に千mの峠を下る途中に間違いに気付き始める。これまた、人生と同じ。「あれ?何か辺だな。」と感じた時点ですぐに折り返すかどうか。

その日、僕はなんとか軌道修正出来ないかと、峠を逆側に下りたと気付いた後も、麓をウロウロとしてしまった。結局、もう一度峠に戻るしか無いと分かった時には叫びたくなった。「あー、なんでこんな失敗を。」明後日には熊野本宮で植樹を控えているので、遅れるわけにはいかない。「地図をしっかり見てればこんな事無かったのに。」

もう一度峠を登りながら、自分の人生の集大成を今、経験しているのかなと考えた。自分の人生の何処かで、僕は峠を反対側に下りていたのかも知れない。汗をかいてこの峠を登り直すことで、その間違いを修復しているに違いない。そう考えると気持ちが幾分楽になってきた。

あの気持ち良く寝た山小屋に戻って来た。小屋の前には看板が出ている。古道が180度方向をかえている。気が付かなかった。雪で入り口が埋まっていたこともあり、そこに道があるとは気が付かなかった。やれやれ。猪年だけあって、猪突猛進、時に周りへの注意が無くなる。

地図をよく見れば、確かに小屋の前で道が180度曲がっていた。

地図の大事さを身にしみて感じた。人生においても、自分をゴールに導く地図。それはよき友、伴侶、家族であろう。

その日はそれ以上歩くのを諦めて、山小屋にもう一泊泊まる事にした。小雨と汗で僕の服は大分濡れていた。止まると寒い。昨日よりも気温は大分低い。

甘いものを食べて心を落ち着かせようとチョコレートをかじる。さすがにこの二日間、チョコレートばかりで飽き気味だ。

夜になるにつれて、吹雪に変わってきた。気持ちが昂ぶっているせいか、その晩はなかなか眠れなかった。吹雪が屋根の隙間から入ってくる。明日、吹雪で峠を下りられなかったらどうしよう。などといらない心配をしてしまう。

次の日、干していたシャツはカッチカチに凍っていた。外に出てみるとやはり白銀の世界。しんと静まり返った峠の景色は昨日とは別世界。意を決して小屋を出発。すると、朝日が差し込み、それはそれは幻想的な熊野古道が僕を待っていた。だった。「あー、この景色を楽しむ為だったのか。」と、昨日、道を間違えたことがやけに納得出来た。

やっと谷間の集落に出た。バックパックを降ろす。ヘトヘトだ。未だお昼だが、前日から峠を何度も登り下りして体力が取られている。

小さな商店に入る。何かまともな物が食べたい。何せこの二日間、柿ピーとチョコだけしか食べていない。カップうどんと缶ジュースを頼みつつ、携帯、デジカメの電池をすかさず充電させてもらう。

商店の主人が名刺をくれた。奈良県吉野郡十津川村、不二家商店の柳瀬哲夫さん。昔は東京で働いていたこともあるそうだ。小泉政権の文句を言っていた。地方と東京との賃金格差、進む過疎化。柳瀬さんが小さい頃は何十人も居た小学校は今度度校になるらしい。

柳瀬さんは声の質、風貌が何処となく小泉首相に似ていた。世代も一緒の筈だ。なんだか陰と陽の様な、山間に住む、もう一人の小泉首相に逢った気がした。

商店を後にして、最後の難関、果無峠を越える。千mの峠だ。夕日が奇麗だった。峠の中腹を登る頃には日も落ちていた。本当に果てが無いと思える程、登っても登っても、頂上に着かない。ヘトヘトだった。頂上に着く頃には辺りは真っ暗。雪の残る、段差のきつい石段を、ライトを頼りに下りた。

夜九時半に熊野本宮に到着。

次の日、世界遺産の熊野川沿いに立派な桜の木を一本植えさせてもらった。この旅のご褒美だ。熊野川をこの桜が彩る景色を想像しながら、歩いてきた方角を眺める。緑の山々が連なり、今朝見たあの白銀の熊野古道を歩いた体験がまるで夢の様に思えた。

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