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2008-05-27

「チベットで木を植える。」

「チベットで木を植える。」
チベットで木を植える?

いきなり変わったタイトルですが、実は、6月の半ばから2週間、チベットに木を植えに行く旅を計画
中です。

この計画はある日突然決まりました。

4月に登山家の栗城史多君が我が家に遊びに来てくれました。

栗城君は世界7大陸の最高峰の単独登頂を目指す北海道出身の登山家。25歳の青年です。

2年前に知人の紹介で初めて札幌のファミリーレストランで出逢った時は、その親しみやすく、謙虚な
姿勢がとても印象的でした。登山家というと、「何処かストイックな人」というイメージを勝手にもっ
ていたのですが、栗城くんは本当に気さくな、礼儀正しい青年でした。

昨年末に南極大陸最高峰のビンソンマシフ単独登頂成功のニュースを見つけて、「さすが栗城くん」と
喜んでいたら、その栗城くんが4月に我が家に来てくれた訳です。

栗城くん、今年9月にはいよいよヒマラヤへの単独登頂を予定していて、これが達成されると、7大陸
最高峰の単独登頂が達成されます。

そのヒマラヤ単独登頂を前に僕と講演会を開きたいと言ってくれました。やった。なんと光栄な。

栗城くんは2年前同様、やっぱり謙虚で快活で、以前と何も変わっていませんでした。「大人物とはこ
ういうものなのかな。」なんて思いました。

そして後日、栗城くんから電話が。

「中渓さん、チベットに一緒に木を植えに行きませんか?」

「チ、チベットに木を植えに?!」内心はとても嬉しいのと驚きとがごっちゃになっていましたが、こ
こはちょっとクールに「是非木を植えに行きましょう。」なんて感じでお応えしました。

栗城くんは山と対話しながら登山をするそうです。そんな姿勢が今まで6大陸の最高峰の単独登頂を可
能にしていたのだと思います。そして、「世界最高峰の山、エベレストに単独登頂する前に、エベレス
トと同じヒマラヤ山脈の霊峰、チベットのカイラス山に挨拶に行きたい。その際にチベットの平和を願
って木を植えたい。」と思っていて、「一緒に木を植えに行きましょう。」と声を掛けて頂いた訳です

チベットでの植樹。正直、僕は知識不足で何をどうやって植えるのが良いのか模索中です。

そんな中、友人、知人のアドバイスのお陰で少しずつ情報が集まってきました。

本出版に向けて文章を書きながら、チベット植樹情報も載せて行きます。

写真は南極大陸の登山に行った際の栗城くんの写真です。

栗城史多君のサイト
http://kurikiyama.jp/index.html

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2008-05-12

コンビ再開 (本出版に向けて・その84)

「機会は鳥のようなものだ。飛び去らないうちに捕らえよ。」
シラー:ドイツの詩人

日めくりカレンダーの言葉、二順目に入りました。

いやー、気が付いたら最後にブログ書いてから2週間近く経ってました。

ゴールデンウィークはドームハウスも大盛況。20人以上の人が集まってくれました。

最近は畑も始めて、北海道生活満喫中です。

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富士山から広島までの旅が無事終わり、これから長崎を目指す筈だったが、ポールから意外な相談を受
けた。

「一旦ここで旅を中断して別れよう。」

ポールはきんちゃんと一緒に屋久島経由、沖縄を目指すことになった。僕は鎌倉に一旦帰ることに。

正直ショックだった。ポールと僕が日本に一緒に来てからその日まで、知らず知らずの内にポールにそ
こまで言わせてしまう程、精神的にも、体力的にも負担をかけてしまっていたことに気が付かなかった

ポールときんちゃんと別れた日、僕は原爆ドームの直ぐ近くの川辺で野宿をした。夏の終わりの川辺で
は若者が楽しそうに太鼓を叩いている。僕は日本に帰ってきてからその日までのことをゆっくりと振り
返った。暑い、そしてなかなか辛い道程だった。正直、僕が思っていた以上に寝床を探しながらの木を
植える旅は難しく、そんなことに苛立ってしまう自分が居た。

でもそんな僕と一緒に居るポール、そして一緒に歩きに来てくれたきんちゃんにはもっと辛かったに違
い無い。

7人で楽しくゴールした広島。その広島でまさか一人で野宿するとは思わなかった。

8月末、僕は鎌倉の実家に帰ってきた。

そして広島から長崎までの旅の準備、そして長崎から東京までの帰り道の講演会の準備を進めた。

日本に帰ってきてから出逢った人達に連絡を取りながら、手探りで準備を進めてゆく。
嬉しいことに広島、福岡、天草、大阪、四日市、鎌倉、東京でのポールの植樹、講演会の話が纏まって
いった。

そんな準備をしながら、「今頃ポールときんちゃんは沖縄でどうしてるかな。」と考える。

メールと電話でやり取りしながら、10月後半に広島でポールと再会。夏にお世話になった定信さんが集
めて下さった人達に講演、定信さん宅で木を植えて10月22日に広島から長崎までの旅をスタート。

暑い夏から季節は秋になり、ポールは屋久島や沖縄の多良間諸島、本島でも木を植えてゆっくり休養も
出来て、元気だった。僕も鎌倉の実家でゆっくりさせて貰い、リフレッシュ。

コンビ再開で清々しく平和公園から旅をスタートした。

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2008-05-01

広島までのウォークで出逢った人達 (本出版に向けて・その83)

広島までのウォークで出逢った人達 (本出版に向けて・その83)
「天才はすなわち忍耐である。」
ビュフォン:フランスの博物学者

博物学者って初めて聞きました。

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(2004年8月13日の日記から)
6月23日に朝霧のフェアリーテールからスタートした富士ー広島ー長崎ウォークの後編です。朝霧から名
古屋までは東海自然歩道で自然を満喫したポール。幾つもの峠を越えて、体力的にはきつかったものの
、精神的にはとても充実していた様子。その間はきんちゃんがお供をしてくれました。

僕は名古屋から合流。名古屋から広島までは殆どの間国道を歩き、自然を満喫することは少なかったの
ですが、素晴らしい出会いが沢山ありました。今までの日記で書きそびれてしまった人をここに紹介し
ます。

岡山、倉敷での植樹を企画して下さった松井美紀さん。「世界平和と祈りの日」でポールの講演会を聞
いて下さってた御縁で、今回の植樹を企画 してもらいました。彼女は着物の生地を機織りしている職人
さんで、その過程には一切機械が使われていません。家には昔ながらの手動の機織り機が置いてあり ま
した。将来は日本の大事な技術を伝える人間国宝になったりして。

彼女の紹介で、倉敷の内山さんにもお会いさせて頂き、江戸時代からの立派な旧家に泊めさせて頂きま
した。この素敵な御家はギャラリーとしても使われているそうです。内山さんには阿智神社での植樹を
企画して頂き、その後は倉敷郊外の田んぼの中にポツンとある、巨石がゴロゴロ、2本の木がバッテンに
なって植わっていたりするとても神秘的な小山に連れて行ってもらいました。

そう、そして忘れてならないのが、「元気酵素風呂」。松井さんの紹介で連れて行ってもらったこの酵
素風呂、発酵させて、最適温度の55- 6度で管理された米ぬかの山に体を埋めてもらいます。5分もする
と汗だく。なんでも自然界の抗生物質と言われている「マイシン」なるものが熱を発してい て、この中
に入っていると癌も治ってしまうらしく、大注目を集めつつあるらしいです。アフリカにこの酵素風呂
を伝えて、エイズを倒す計画を持つ素敵な大将 が経営している元気酵素風呂に入った後は体がポカポカ
、で、すっきり軽く感じました。睡眠もバッチリ。又行きたいです。

広島での植樹を企画して下さったのが堀田さん。ポールの事を紹介して下さったFM東京の放送を聞いて
いた堀田さんが始めて連絡を下さったのが5月。7月の放送後に又連絡をくれて、広島の3箇所での植樹を
企画、木まで提供して下さいました。堀田さんは広島市内のパン屋さんで朝3時から毎日パンを作ってら
っしゃいます。先日は堀田さんの車で、皆で一緒に大三島までドライブに行くことが出来ました。

その堀田さんに紹介して頂いたのが岸本さん。岸本さんは広島銀行に勤務されながら、「むすひフェス
ティバル」なるものを奥様と企画、運営なさってます。(詳しくはリンクご参照)「このフェスティバ
ルが縁で結婚した方も居るんですよ。」と嬉しそうに語る岸本さん。

最後に定信多紀子さん。14人家族で「愛の架け橋」を運営なさっている下中さんにご紹介して頂き、2泊
させて頂きました。原爆の当日、当時 13才で、登校途中にたまたま古江のご実家に戻って一命を取り留
めた定信さん。毎年、講演会でその体験を若者に伝えています。一緒に住んでいらっしゃるお母様セキ
ノさんは98歳で、被爆者の最年長だそうです。

こうやって書き始めると、まだまだ書き切れない程、色々な方の協力で、今回の旅が実現してます。広
島到着直後、快く6人からの大所帯の私 たちを泊めて下さった三瀧寺の住職様、宮島の大聖院の住職様
、そして突然の依頼に応じて下さった下村家の皆様にも、改めてお礼を申し上げます。

(当時の日記以上)

写真:定信さん、母のセキノさん、ポールときんちゃん

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