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2008-04-24

ザンビアのブライアン (本出版に向けて・その78)

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「我々の信用は我々の一つの財産である。」
ジュベール:フランスの哲学者

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世界平和と祈りの日に参加している間に嬉しいニュースも入ってきた。ポールが、2005年の愛・地
球博で「地球を愛する100人」に選ばれて万博で講演をすることになり、メッセージビデオの収録も
行われた。

夏至の祈りを終えて、僕たちはザンビアで出逢った隆一さんが住んでいる朝霧のフェアリーテールに向
かった。

隆一さんはそこで大きなログハウスを造っていた。

パートナーの山村レイコさんは知る人ぞ知る、パリダカも完走したラリーライダーで、19歳の時に1年か
けて、バイクで日本を1周、3万キロを走った。その時の日記を見せてもらった。所々に詩が書いてあっ
てとても素敵なノートだった。「やはり大人物は若い頃から粋な事をするんだな。」と関心してしまっ
た。

僕達はこのフェアリーテールから日本の旅をスタートすることにした。

正に、富士山から広島、長崎まで歩く御伽話の始まりだった。

朝霧から先ずは東海自然歩道を歩いて名古屋まで。旅のスタート、僕はポール、ブライアン、きんちゃ
んの3人を見送る形になった。

横須賀の国立病院で腫れた歯茎の検査をする為。

検査には随分と時間がかかった。詳細は覚えていないが、レントゲンをとったり、血液をとったりと、
色々と手間を取った。

結局2週間程待たされて、やっと結果が出た。ガンじゃない。僕の歯茎は単に化膿して腫れているだけ
だと分かった。

正直、無茶苦茶ホッとした。

それにしても健康っていうのは、やっぱり失った時に有り難さを感じるものだ。

僕はその2週間、健康について真剣に考えた。3年9ヶ月振りに日本に帰って来て、いきなり洗礼を受
けたかの様な出来事。結局大事でなく良かった。それにして、歯茎が化膿してしまうってことは、やっ
ぱりアフリカの歯医者さんは衛生状態があまり良くない訳だ。

そんな一騒動のお陰で、僕は鎌倉の実家を拠点にあれこれと初めての日本でのウォークの準備に動くこ
とが出来た。

ポールときんちゃんとブライアンはヒルに悩まされながら東海自然歩道の険しい山道を越えていた。

ブライアンはいち早く戦線離脱。鎌倉に戻って来た。40代後半のブライアンには東海自然歩道の山道
はちょっと厳しかった様だ。「ポールはあんな険しい山道を平気で歩いている。クレイジーだ。」と言
っていた。

ブライアンはザンビアに住むアイリッシュ系の白人で、陽気な僕の兄貴分だった。アメリカにもう何年
も逢っていない息子が2人住んでいて、結局ブライアンは早々にアメリカに行ってしまった。また日本
に帰ってくるつもりで洋服を僕の実家に沢山置いていったが、そのまま帰ってくることは無かった。

僕はその後、ブライアンが置いていった皮の帽子を気にいってずっと使っていた。

昨年(2007年)12月3日の結婚式当日(か前日)にその帽子は行方を眩ました。

結婚するまでブライアンが僕を見守っていてくれたのだろう。(ブライアンはまだ健在なのでそんな書
き方は適当でないかもしれないが。)

ポールときんちゃんは無事、東海自然歩道を名古屋まで歩ききり、きんちゃんは群馬の実家に戻り、名
古屋からはポールと僕の2人で歩き始めた。

2週間以上山道を歩き続けたポールは一瞬見違える程に顔がほっそりしていて驚いた。

写真:きんちゃんとブライアン

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