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2008-03-31

出発 (本出版に向けて・その66)

Paulkoichilunch

「話すことの二倍人から聞くべきである。」
デモステキス:ギリシアの政治化

今日の言葉

我が家の日めくりカレンダーより。

明日から新学期。学校に行って無くても、会社に行って無くても、なんだかやっぱり気が引き締まる3
月31日。

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すっかりルサカという街に馴染んでしまい住み心地が良くなった頃、先を目指して出発することになっ
た。

2ヶ月以上お世話になったChaChaChaバックパッカーズで木を植えてから旅をスタートした。

2ヶ月振りにバックパックを背負うとやはり最初はズシリと重い。ワクワクと不安の入り混じった気持
ちで旅に出る。

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2008-03-30

変化を起こす。 (本出版に向けて・その65)

変化を起こす。 (本出版に向けて・その65)
「悲しみ苦しみは人生の花だ。」
坂口安吾:昭和期の小説家

今日の言葉

我が家の日めくりカレンダーより。

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ザンビア滞在中に友達の輪はどんどん広がって行き、ルサカ市内のゴルフ場で120本の木を皆で植えたり
、ザンビア大学や、女子高などでポールの講演が行われた。その中でもポールの忘れられないスピーチ
がある。Environmental Educationという子供向けの環境教育プログラムの発表会がホテルであり、ポー
ルはドイツ大使、ザンビアの環境副大臣と共に来賓席に着いた。

「アフリカは変化が起こる可能性を十二分に含んだ素晴らしい大陸です。アフリカが世界を変えます。
」ジンバブエで僕達が話していたことを今、ポールが現実に大勢の人の前で話している。僕は体に力が
入った。一瞬、会場に心地良い緊張感が流れる。「この人は何かを変えようとしている。」皆にそう感
じさせるスピーチ。「子供達が何か変化を求める時、それは明日からでは無い。子供達は何かを変える
と決めたらその日に変えます。」皆、頭の中でその意味を探ったことだろう。僕も考えた。そしてその
発表会の後、ホテルの外でChongololo Clubの子供達と一緒に皆で2本の木を植えた、植樹の後、ポール
の周りは質問する子供達で一杯になった。

ポールのスピーチはその日、テレビとラジオで放映、放送された。その夜ポールは「子供達は今日、変
化を起こしたんだ。」と言った。ポールが言う「変化」が木を植えることであることを僕はその時やっ
と分かった。

(写真はサイトから抜粋しました。)

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2008-03-29

ザンビアの駆け込み寺を訪ねて (本出版に向けて・その64)

ザンビアの駆け込み寺を訪ねて (本出版に向けて・その64)

「長い議論も短い議論も目指す目的は同じだということをよく理解すべきである。」
エピクロス:ギリシャの哲学者

今日の言葉

我が家の日めくりカレンダーより。

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そしてルサカに居る海外青年協力隊の方達、清水建設の方達とも仲良くなった。清水建設の方達は本当
に温かかった。海外青年協力隊の若者、Cha Cha Chaで出逢った旅人達と宿舎に泊まりに行くと、何時も
正月の様な大御馳走で歓迎してくれた。(クジラのベーコンなんて珍味もあったりして)。塩山さんは寅さんみたいな風貌の人で、空き巣の友達の話なんかを皆で大笑いしながら聞いた。玉田さんは石弘之さんの「地球環境報告」を貸して下さった。夜通し宴会が続き、次の日のお昼過ぎに解散するなんて大宴会に何回か呼んで頂いた。そんな御縁で清水建設方の宿舎でポールの講演会をやらせて頂くこともあった。

海外青年協力隊の松本君は料理の先生として派遣されていて、お陰で良く、Cha Cha Chaの直ぐ近くにある松本君の家に行き、日本食をご馳走になった。ザンビアで協力隊員が指導して作ったというコシヒカリなんてのもあって、やっぱりそんなお米は格段に美味しくて、その時ばかりは日本が懐かしくなった。食後は他の隊員さんとも一緒に日本のお笑い番組を見たり、「踊る大走査線」を見たりして、どっぷり日本の世界に浸らせてもらった。

因みに松本君は2年の任期が終ったら日本大使の公邸料理人になりたいと言っていたが、その夢を見事に叶えて今もルサカに住んでいる。

そしてもう一人、忘れられない日本人の方が居る。

ルサカの郊外に10年以上単身で住んでいる沢口さん。沢口さんは日本山妙法寺というお寺のお坊さんだった。沢口さんの住むチクンビ村行きのバスを待っていると「オショウに逢いに行くのですか?」と誰かが声を掛けてくれた。彼は沢口さんの処で働いている人で、名前はなんと「ヒトラー」だった。お父さんは軍人だったらしい。アフリカではたまに本当に面白い名前の人に出逢う。

彼は40cm位の細い木の棒を持っている。「何に使う訳じゃ無いんだけどこれを持っていないと落ち着かないんだよ。」と言っていた。本物のヒトラーとは違い、とても穏やかな優しい人柄の彼が「オショウ」の家まで僕をエスコートしてくれた。

お寺に住んでいるのかと思っていたが、沢口さんはアフリカの人達と同様、シンプルな平家に住んでいた。沢口さんはTシャツに短パン、腰にはお坊さんらしい、綺麗な山吹色の細い帯を巻いていた。質素で清潔な室内。自然農法、ピースウォーク、戦争と平和。色んなことを話した。南アフリカでネルソン・マンデラ氏が大統領選に出馬した時、マンデラ氏を応援して沢口さんはダーバンからプレトリアまで平和行進したそうだ。700kmはある。仲間の何人かは政府軍に襲われたらしい。今は村で半ばひっそりと暮らしているが、落ち着いたらケープタウンからカイロまでの平和行進をしたいと居っていた。

村は継続的な貧困に悩んでいて、泥等が絶えないらしい。4時間弱の滞在中に近所の二家族が食料を求めて沢口さん宅にやって来た。沢口さんのお家は文字通りチクンビ村の人達の「駆け込み寺」となっていた様だ。

色々面白いお話を聞かせてもらったが、中でも興味深かったのは核実験の裏事情。フランスは原発から出てくる産業廃棄物を処理する為に「実験」と称して核廃棄物を海に捨てているらしい。捕鯨の禁止は海洋をウロウロされると困るからであって、本気で鯨を心配しての事かは疑わしいとの事。なるほど。

ザンビアは世界でも有数の空気が美味しい処らしい。僕はルサカの汚い空気にやられ気味だったので、沢口さんを訪ねて、良い話を沢山聞いて、美味しい空気を沢山すって元気になった。

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2008-03-28

アマゾンの大切さ (本出版に向けて・その63)

アマゾンの大切さ (本出版に向けて・その63)
「すべての偉大な人は謙虚である。」

レッシング:ドイツの劇作家、評論家

今日の言葉

我が家の日めくりカレンダーより。

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日本大使と面会する機会もあった。当時の大使、石弘之さんは世界でも数少ない、民間から選ばれた大
使で、昔は朝日新聞の編集室にいた方だった。ポールと大使は環境問題について1時間近く話し合った。
正に地球の未来を危惧する2人の環境家の出逢いだった。アマゾンを始め、赤道付近の熱帯雨林の破壊が
世界の天気に影響を与えることを2人は危惧していた。

中東の砂漠地帯の都市ドバイでは土地の2割が植林によって人口森林になっていて、最近は雨が降り始め
ている事、パナマのインディアンは大人が自分の子供に「これが君の木だよ。」という木を見つけてあ
げることで、ジャングルの中に自分の木を一人一本持っている事等、とても面白い為になる話を聞くこ
とが出来た。石大使は以前、環境ジャ−ナリストで、東大の教授、国連の上級顧問等もやっていて、実
に色々な顔を持つ「地球環境大使」で、手塚治虫の漫画に「博士」で出て来そうな優しい人柄の方だっ
た。

ルサカでは沢山の日本の仲間も出来た。Cha Cha Chaに僕達が到着した日に出逢った前田夫婦は、バイク
でアフリカを縦断中で、ポールの活動を支援する為に、前田夫婦と僕の3人で「アースウォーカー事務局
」を結成。2人は、神業的な集中力で、インターネットカフェで1日掛かりの末に立派な日本語サイトを
立ち上げてくれた。2人は正に救世主。数日後、お隣の国、マラウィに向けて、バイクで出発して行った

或る日突然、50ccの小さなバイク、ホンダのゴリラに荷物満載で登場した正貴くんは99年9月に日本
を出発、以来ゴリラでカナダから南米迄旅をして、アルゼンチンから南アフリカに入り、アフリカから
欧州まで北上、インドが最終目的地という冒険家だった。いつもゆっくりマイペースの正貴くんはCha
Cha Chaの人気者だった。タンザニアから電車でザンビアにやって来た、ちかちゃんとポールと4人で庭
にブルーシートを敷いて花見スタイルでバーベキューを楽しんだりと、ほのぼのした時間が過ぎた。正
貴くんも僕も日本を3年以上離れて情報に疎い為、一年前に日本を出た、ちかちゃんに色々と日本の流行
を聞くのが楽しかった。

写真:パナマのインディアンの子供(サイトから抜粋)

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2008-03-27

Agenda21:21世紀を生き抜く青写真 (本出版に向けて・その62)

Agenda21:21世紀を生き抜く青写真 (本出版に向けて・その62)
「いかに長く生きたかでは無く、いかに良く生きたかが問題である。」
セネカ:ローマの哲学者

今日の言葉

我が家の日めくりカレンダーより。

今日はひょんなことから日系ハワイの人達に小樽を案内する機会を頂きました。小樽観光したあと、若
者達は札幌のBapeって店に繰り出して行きました。

そんなに凄いんすか。Bapeって。正直今日初めて知りました。

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ルサカのロータリークラブでポールが講演をさせて貰い、ロータリークラブの人がクリケットの観戦に
誘ってくれて、そこで出逢ったアメリカ人のクリスがポールのドキュメンタリーを作ることになった。
クリスは僕達にインターナショナルスクールの先生を紹介してくれる等、ルサカでのネットワークを広
げてくれた。そんな風にして、どんどん活動の輪が広がってゆく様を見ているのがとても刺激になった
。ザンビアの植民地支配はとっくに終っているが、やはり社交場の中心に居るのはイギリス人やアメリ
カ人が多く、得てして大事な話はそんな社交場で決まる。ちょっと大袈裟だが、世界事情の縮図を体感
した気がする。

クリスが企画してくれて、インターナショナルスクールの高校生の「国連会議」の中でポールが講演を
することになった。
各人が自分の国籍と関係無く、何処かの国を代表して本物の国連の様に会議をする。

ルサカ中の高校から7−8人づつ、100人位の高校生が講堂に集まっていた。机の上には良く見ると「ジョ
ーダン」だとか「ケニア」だとか自分が担当する国の名前が書いてある。数ヵ月後にはザンビア中から
5−600人の高校生が集まり、全国規模でこの国連会議を行うことになっていた。既に5年続いているこの
会議、実行委員の数名はオランダのヘイグで行われる世界大会にも出席しているそうだ。「高校生の国
連」の存在を初めて知った。とても興味深かった。

そこには国連同様、事務総長が居て、インド人らしい彼はいかにもしっかりした顔付で、その集会の様
子は皆の意識の高さを感じさせる素晴らしいものだった。そしてここでのポールのスピーチは更に皆の
意識を高めた。

92年のリオの地球サミットに参加した後、ポールはサンフランシスコに2年程滞在して、当時交流の薄か
った環境活動団体と人権保護団体の統合を目指す運動を続けた。その結果、「Global Peoples Assembl
y」という、国連に変わり得る世界市民の為の組織が誕生した。その活動を進めながらアメリカ政府に対
しては、リオの地球サミットで決定された「アジェンダ21」の導入状況の確認をした。

「アジェンダ21」とは、21世紀に人類が地球に生き残る為に考えられた世界の環境設計図であると僕
はポールの説明から理解している。(調べてみると、「21世紀に向けて持続可能な開発を実現するため
の具体的な行動計画」とある。)

しかし現状は、このアジェンダ21を意識して政策を練る国は殆ど無く、折角リオのサミットで話し合
われたアジェンダ21「生き残りの設計図」が半ば忘れられた存在になっているらしい。

「アジェンダ21」が地域地域で導入されることの大事さをポールは説いた。

そしてもう一つは国連が定めた指標について。

国連は2015年迄に世界の水不足、食料不足を現在の半分に減らすことを目標にしている。ポールの意見
は、「何かを成す時に“半分”というのは在り得ない。僕はイギリスから中国まで歩いて1億本の木を植
えることを目標にしているが、半分の達成は望んでいない。やる時は完全を目指す。国連のプランも、
目指すのは水不足、食料不足の完全解決ではないか。」というものだった。その通りだ。

「ザンビア政府に水不足、食料不足の5年先、10年先の解決プランを聞いてみてはどうか?」とポールは
高校生に問いかける。高校生の目は真剣だった。スピーチが終ると、皆立ち上がってポールに拍手を送
る。ポールも満足そうだった。その後、講堂の外で3本の木を皆で植えた。そして今度の全国集会では、
参加者全員が一人1本、つまり500本の木が植えられることが決まった。

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2008-03-26

ディナーパーティーの威力 (本出版に向けて・その61)

ディナーパーティーの威力 (本出版に向けて・その61)
東京に行ったりと、随分間が空きましたが、執筆再開です。

今日の言葉も溜まった分をざっと書いて見ます。

夫婦生活は長い会話である。
春風を持って人に接し秋霜を以って自らを慎む。
人間は他人の経験を利用するという特殊な能力を持った動物である。
不幸はその人の偉大さを証明するものである。
賢明な思考よりも慎重な行動が重大である。
他人の為に尽くすことによって自己の力を量ることが出来る。
人生は学校である。そこでは幸福よりも不幸のほうが良い教師である。
満足は天然の富だ。
人力の限りあるを知るのが自信だ。

ってなことでした。

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パーティー当日。今回も副大使のルーディーが迎えに来てくれた。大使邸は大きかった。あんな大きな
家は見た事が無いかもしれない。プールサイドにテーブルがセットされ、素敵な屋外パーティー会場が
出来上がっていた。ポールと僕はバーのある小屋の前で、100人は居るだろう客を眺めていた。皆、何を
やっている人達なんだろう。興味深かった。

最初に話しかけて来た黒人紳士はザンビアの国営テレビZNBCのディレクターだった。「是非テレビに出
演して欲しい。」と話が纏まる。何だか信じられない。相手を探すこと無く、バーの前に立っていたら
自然とそんな話になった。

次はもう一つのテレビ会社のボス、南アフリカ出身の白人に出逢う。植民地解放後の初代大統領ケネス
・カウンダ主催のイベントで植林しないか?」という話になった。これまた信じられない程スムーズな
展開。そして皆が待ちかねたバーベキュー開始。なんと最初に呼ばれたのはポールだった。

「Mr. Coleman」

僕達の立っていた場所が食事の並ぶテーブルに近かったこともあるが、ポールと僕はパーティー一番乗
りでディナーを頂いた。見れば数分後には行列が出来ている。そして食後、先日招待状を持って来てく
れた黒人の彼と話をしながらパーティーの様子を眺めていると、丁度今回の主役のチェリースがバーを
目指してこちらに歩いて来る。

「どこから来たの?」と話しかけられた。「日本だよ。」と答えながらポールを紹介。後はポールと彼
女の話に花が咲いた。彼女は背が高く、素敵な女性だった。「一緒に植樹が出来たらいいね。」とポー
ルが言うと「私は何も決められないの。マネージャーが全部管理しているのよ。」と言う彼女は一瞬だ
け悲しげに見えた。話をしている間中、色んな人が彼女と写真を撮っては去って行く。ポール、彼女、
僕、彼女のお姉さんで記念撮影をした。逢いたい人には全て逢えて、植樹、テレビ出演の話も決まり、
大満足の夜だった。

流石ポール。ディナーパーティーの効果を知っていた訳だ。

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2008-03-25

Tokyo source:東京発、未来を面白くする100人 後半

Tokyo source:東京発、未来を面白くする100人 後半
Tokyo source:東京発、未来を面白くする100人 後半がアップされました。

http://www.tokyo-source.com/japanese/archives/2008/03/039_2.html

先週金曜日は編集長と副編集長の近藤さん、米田さんコンビに出逢う機会がありました。

「このコンビだからこんなに斬新で面白い企画が生まれたんだな。」と納得しちゃいました。

Tokyo Souce、目が離せません。

金曜日は思わず近藤さん宅に泊めさせて頂いちゃいました。

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2008-03-24

EXILES

EXILES
東京に行ってました。

久し振りの大都会。刺激を受けまくり。

やっぱり東京のペースは凄い。たまにしか行かないからと精力的に動き過ぎてちょっと消化不良気味に
なりそうで反省もあったけど、楽しい旅だった。

一番のトピックはロバート・ハリスさんのラジオに出させてもらったこと。

ロバート・ハリスさんの「エグザイルズ」を読んだことがあって、破天荒な生き様に憧れていたので、
実際に逢ってお話出来るのが楽しみだった。

流石、波乱万丈な人生を歩んだ人だけに、話を引き出すのがとっても上手くて、30分弱の収録時間は
あっという間に過ぎた。

最初は緊張したけど、なんだか意気投合してしまって、ずっと話していたい気分だった。

ラジオ収録の前後も、ほんの短い時間に、摩周湖を見下ろす100m近くある崖から落ちて、木に引っ
かかって一命を取り留めた話(翌日新聞記事になったそう。)、ここには書けない(かな)笑い話など
が飛び出す。

今度東京来た時は遊びましょう。と携帯番号を書いたポストカードを下さった。

嬉しい!
そのポストカードは今、我が家の中心に建つ柱に貼り付けてある。

次回東京に来る時は、家族3人で遊びに行ってみようかな。

因みに、写真は子供の頃のロバート・ハリスさん。

http://j-pod.jp/planet_green/
収録したラジオ番組は4月3日にこちらでポッドキャスティングされます。

そしてこちらはロバート・ハリスさんのブログ。なんと僕のことも紹介してくれています。(僕がアフ
リカから中国まで歩くってことになってますが、そこはご愛嬌ということで。)
http://minkara.carview.co.jp/userid/333483/blog/8172377/

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2008-03-17

Tokyo Source:東京発、未来を面白くする100人

Tokyo Source:東京発、未来を面白くする100人
昨年9月末にTokyo Sourceの坂口くんがドームハウスでインタビューしてくれた記事がアップされました
。嬉しいです。後半もお楽しみに!

http://www.tokyo-source.com/japanese/archives/2008/02/039.html

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007 (本出版に向けて・その60)=?ISO-2022-JP?B??=

007 (本出版に向けて・その60)=?ISO-2022-JP?B??=
「時の経つのが早いと思うのは人生というものが分かってきたからだ。」
ギッシング:イギリスの小説家

今日の言葉:我が家の日めくりカレンダーより。

じゃ、僕は人生というものが分かってきた様です。

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政府サポートを取り戻すべく、僕達が向かったもう一つの場所は南アフリカ大使館だった。ポールの活
動を全面的にバックアップしてくれていた南アフリカ政府。大使との面会を申し入れると、なんと副大
使が直々にCha Cha Chaバックパッカーズまでポールを迎えに来てくれた。大使は面会の最中に「何かリ
クエストはありますか?」と聞き、ポールはそれに対して「ディナーパーティーに招待して欲しいです
。」と答えた。意外な答えだった。

すると、数日後には今度は制服を着た南アフリカ大使館のメッセンジャーボーイが、Cha Cha Chaまで封
筒を持って来た。僕達は昼間、用事が無い時はCha Cha Chaの野外キッチンに居たのだが、制服の黒人か
らポールが手紙を受け取るその様子は、なんだか007が秘密指令を受け取っている様で可笑しかった

封筒を開けてポールが大きく笑った。「Big Brotherで優勝したチェリースのレセプション」と書いてあ
る。ポールと僕宛に2枚の招待状が入っていた。

Big Brotherとは当時流行っていたテレビ番組で、スタジオに創られたコンテナの居住空間に男女何人か
の若者が共同生活をして、その様子は24時間カメラで撮られている。2週毎に一緒に生活している仲間の
内2名を共同生活失格者として指名。指名された人は視聴者からの投票で居残りか失格かが決まり、最後
まで残った人物には賞金が与えられるというなんとも厳しいルール。そのBig Brotherのアフリカ版で優
勝したのがザンビア人のチェリースという女性で、優勝金額はなんと10万ドル。ザンビアのトップニ
ュースになっていた。

ポールのリクエストが見事、叶えられた。

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2008-03-16

手書きの手紙の力 (本出版に向けて・その59)

手書きの手紙の力 (本出版に向けて・その59)
「一大事業をやりかけていることは長命を保つ方法である。」

ジョーエット:イギリスの古典学者

今日の言葉

我が家の日めくりカレンダーより。

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ザンビアの首都、ルサカに到着した。ルサカでは、Cha Cha Chaバックパッカーズという宿の庭で、実に
2ヶ月以上野宿させて貰った。

オーナーのウェイドはオーストラリア人で、ジンバブエとの国境からルサカに向かって歩いている僕達
に声を掛けてくれて、「ルサカに着いたら僕の所に来てよ。」と誘ってくれていた。ルサカに着いてCh
a Cha Chaバックパッカーズを訪ねると、ウェイドの好意でキャンプスペースであれば、何時まででも滞
在して良いことになった。

ルサカはこれといって何がある訳では無かったが、ビクトリアの滝や、国立公園に動物を見に行く欧米
の旅行者が、移動の合間に何泊か逗留する為、Cha Cha Cha は何時も旅行者で賑わっていた。ドミトリ
ーという相部屋か、テントを持っている人は庭でテントを張る。ポールと僕は、テントを持っていなか
ったので、庭で野宿をしていた。

その状態で2ヶ月以上を過ごした訳だが、ザンビアはその頃、10〜12月は乾季で雨は粗一切降らない
ので、慣れてしまうとテントより気持ち良い。寝る時には何時も星空を眺めることが出来る。唯一困る
のは、常に人目に晒されていることで、それにさえ慣れてしまえば、実に快適だった。

Cha Cha Chaで野宿した2ヶ月間に色々なことが起こった。

ジンバブエで途切れてしまった政府サポートを取り戻すべく、ポールと僕は環境観光省に行くが、やは
り「レッドテープ」の壁は厚く、先ず、話をする為に逢うまでが一苦労だった。そんなザンビア政府の
対応に落胆して、2人でアイスクリームを食べていた時に、ポールが言った。「そうだ。大統領に手紙
を書こう。」それはなんと壮大なアイディア。

結局この大統領への手紙がきっかけとなり、僕達のザンビア生活はその後変化した。まさに起死回生の
一手。ポールのそんな奇抜なアイディアと実行力が僕をこの旅に益々惹き込んで行った。

ポールは常に「手書きの手紙の大切さ」を僕に教えてくれた。

ポールは過去に、ゴルバチョフ大統領にも手紙を書いたことがある。

89年、冷戦が激化する最中、アメリカとソ連は宇宙の覇権を争うべく、宇宙技術開発に力を入れてい
た。ポールは先ず、アメリカのレーガン大統領か、ソ連のゴルバチョフか、どちらに手紙を出すか迷っ
た末に、ゴルバチョフに手紙を書く。その姿勢は飽くまでゴルバチョフと対等な立場の人間として書く
ことに注力したそうだ。その手紙を書いた当時は今の僕と同じ年位だ。

手紙の内容が面白い。ポールから聞いた話から僕なりに手紙の内容を書いてみる。

「拝啓ゴブバチョフ大統領殿。地球人同士が小競り合いをしている様では大宇宙に人類が出て行くこと
は出来ないのでは無いでしょうか。科学者だけを宇宙に送るのでは無く、詩人、音楽家、作家等、芸術
家を宇宙に送ることで、彼等の感性で宇宙、地球の素晴らしさを人々に伝えることが出来るのでは無い
でしょうか?」

この手紙に対して、ソ連の宇宙技術に関する1冊の本が届いたそうだ。それから数年後、アメリカを徒歩
で縦断している時にテキサスのNASAに立ち寄り、たまたまそこに来ていたロシアのスペースチームと出
遭うことが出来た。ゴルバチョフに宛てた手紙の話をしたら、期せずして逢わせてくれたそうだ。夢の
ある話だ。

そして今回はザンビアの大統領に向けて。内容は、9月21日、国連が定める「国際平和の日」に一緒に木
を植えましょうという主旨。聖人ポールがローマの王様シーザーに直訴した事例を挙げるオープニング
の迫力のある手紙だった。

この手紙を新聞社に「公開文書」として持ち込んだ。すると新聞社は見事にその手紙を掲載してくれて
、それが元で大統領との植樹は実現こそしなかったが、ザンビア政府とのコミュニケーションがスムー
ズに始まった。新聞社との関係も出来て、後日ポールの活動が粗1面を使って報じられた。

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2008-03-15

おもてなしの国ザンビア (本出版に向けて・その58)

おもてなしの国ザンビア (本出版に向けて・その58)
「自信は成功の第一秘訣である。」

エマソン:アメリカの詩人、思想家

今日の言葉

我が家の日めくりカレンダーより。

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(アフリカを歩いていた時の日記より)

2003年9月13日

今日でザンビアを歩き始めて5日目。道路標示が無いので正確な距離は分からないが、多分60km近く
歩いている。ザンビアの人達は心の優しい人達が多い様だ。チュルンドゥでは警察署に泊めさせて頂い
たが、ジンバブエの様にやたらと質問攻めにあったり、無意味に待たされるということも無く、警察が
市民の為に存在するという感じを受けた。

次の日はKabananaという小さな村の近くで野宿する。ポールと僕が晩飯を作る為に火を借りにその村に
入って行くと、あっという間に7−8人の子供達が集まって来てチョコンと可愛らしく僕達の前に座って
いる。その数は段々と増えてきて気が付けば20人位になっている。ポールはその中の二十歳前後の若者
と話し始める。僕は子供達に「空手を教えてくれ。」と頼まれたので、「空手は出来ないが火廻しなら
出来るよ。パラフィンはある?」と聞くと、コップ一杯分のパラフィンを用意してくれたので、久々に
火廻し(ポイ)をすることになった。

ジンバブエでは残念ながら一度も回す機会が無かったので丁度良かった。その夜は丁度満月の夜で気持
ちの良い夜だった。パラフィンをポイに染み込ませて着火させる為に焚き火の側に行くと、集まってい
た子供達がまさに蜘蛛の子を散らす様に逃げていった。ポイを廻し始めると笑い声が起こる。4−50
人は集まっている。皆、とても喜んでくれた。とても良い気分。子供達の笑顔を見ると元気が湧いてく
る。ポールはその後も熱心に若者と会話を続け、寝る前に「ザンビアの人達は素晴らしい。」と感動し
ていた。

確かに2ヶ月以上歩いていたジンバブエでは感じたことの無い、人々の素直さ、優しさをこの数日で実感
する。次の日はSanbokoという村の警察署の庭で野宿させてもらった。二人の若い警察官が住んでいて、
彼等は国境の街、チュルンドゥから1ヶ月勤務でこの村に出張に来ているらしい。やかましいボスも居ら
ず、若者二人での生活を楽しんでいた。

質素ながら、鶏肉とシマの晩御飯を僕達にも分けてくれた。こんな体験はジンバブエでは一度も無かっ
た。この村の前後30km程は登り下りのきつい山道が続いていて景色は素晴らしかったが、村の人達
には夜は歩かない方が良いと言われていた。山賊が現れるらしい。この警察官に聞けば、夜、山道を通
るトラックが登り坂で減速している間に荷台に飛び乗り、素早く荷物を持って行ってしまうらしい。成
る程、昼間坂道で何度かトラックに出逢ったが、時速は15km程しか無く、楽に飛び乗れそうだった
。ジンバブエでも同様だったが、山道を歩いていると何台ものトラックが谷間に落ちているのを見かけ
る。

次の日の朝、警察官は勤務に出掛け、ポールと僕が茶を沸かしてゆっくり朝飯を楽しんでいると、1台の
ジープが現れて「山でトラックが事故なんだ。警察はいる?」と聞かれた。聞けば怪我人は居ない模様
。後から警察官が帰って来て、「怪我人は居ないんでしょう?」と聞くと「うん。意識不明なだけ。」
と言っていた。意識不明は大したこと無いのだろうか。

そして昨日は歩いている途中に出逢ったトラックの運転手が、次の村まで結構あると言うので水を分け
てもらったら、自分のお昼御飯まで分けてくれた。そんな事もジンバブエでは無かった。その夕方、若
者の案内で食料を買いにお店に行くと、お店のオーナーが快く家に泊めさせてくれて、晩飯、朝飯も面
倒見てくれた。一体、このザンビアの人達の優しさはどこから来るのだろうか。一つにはキリスト教の
影響が強い様に思える。家に泊めてくれたお店のオーナーはアポストロフというキリスト教のメンバー
らしく、色々と写真を見せてくれた。Sanboko村の若い警察官は晩御飯の前にお祈りをしていた。ジンバ
ブエもキリスト教徒が多かった様だが、ザンビアの人達はより敬虔な信者なのだろうか。

ザンビアは8つの国に囲まれて、72の言語が存在するらしい。島国の日本人には想像し難い環境だ。そ
の特別な環境と人々の穏やかさに何か関係があるのかも知れない。これからもう少し分かってくるだろ
う。

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今晩、横浜にて「発電ナイト」!

今晩、横浜にて「発電ナイト」!
友人の関根健次くんが主催する、前代未聞の「発電ナイト」

今晩、横浜にて。詳細以下です。皆様是非!

踊って発電、発電ナイト。


http://www.hatsuden.org/

踊るエネルギーが電力になる。フロアが光る。

CO2を出さない、クリーンエネルギーをその場で作り、

見ることができる、日本初の発電イベント。

地球、海を意識してフロアは青く優しく光ります。

映像演出には、ヴィジュアルアーティストmichi、

そして、 美しい地球を取り戻す願いを蓮に託して

「Blue-Lotus」シリーズを展開する、写真家、

内藤忠行が生命を誕生させた色、Blueで会場を照らします。

Guest DJには、AKIHITO MIYAMOTO 、そしてSAKAI(marginal)。

House, Techno, DUB, Soul, HIPHOPなどでフロアを盛り上げます。


なお、オープニングパフォーマンスとして、タップダンサーりりぃ
も登場!タップダンスもお楽しみください。

踊って発電。一緒に地球の未来を感じ、考えませんか。

■日時 2008年3月15日(土) 19:00〜22:00 
※会場の都合上、多少遅れてスタートの可能性あり

■会場 ヨコハマNEWSハーバー
横浜市中区大田町2-23 横浜メディア・ビジネスセンター1F

■料金 当日3,500円、学生・前売り3,000円(入場料、フリードリンク、軽食)

■申込 フォームまで(当日参加可)

■主催 発電ナイト実行委員会 

■協力 I love yokohama

内藤忠行 http://www.p-om.net/

1941年、東京浅草生まれ。1964年よりマイルス・デイヴィスなどのジャズの巨人を撮り始めると同時に
彼らの表現にも惹かれ、それを写真に応用する。その独自の視点でアジア、アメリカ、アフリカなど世
界規模の取材を行った膨大な写真は、映像、造形、テキスタイルなど多様に発展している。幻想的な桜
の世界をTの字型シンメトリー「SAKURA-COSM」で斬新に、四季折々の自然が加わる事で美が表出する「
庭」では日本人の美的DNAの潜在を表現し、蓮 を21世紀のスピリチュアルなキーワードとした「Blue-L
otus」など、具象と抽象とリズム感で表現の幅にも試みる。

michi  http://michiyuki.net/

映像を使い空間を自在にコントロールするヴィジュアルアーティスト。映像=質を持った光として捉え
、空間全体をキャンパスとしてフレームレスに描く。抽象性と有機性が生み出す美しくダイナミックな
空間は、人の感覚へ自然に訴えかける体感的な表現となっている。ミュージシャンやダンサーを中心に
様々な表現者とのコラボレートを展開し、高い結果を残してきた。05年にはmichiの映像空間を中心に企
画・開催された「CONSCIOUS -意識-」公演(青山・スパイラルホール)で話題をぶなど、映像の進むべ
き次のステップを探求し、そこへ踏み込んだ表現は各界で高い評価を得ている。06 年、07年にBNN社か
ら出版された「日本の映像作家100人」にも紹介されている。日本国内に留まらず、イギリスやフランス
でも、その映像空間は反響を 呼んでおり、06年、パリ近郊のメディアアート美術館 Le CUBE(フランス
)において映像パフォーマンス・講演への招聘や、ロンドン(イギリス)のICA(現代美術館)でもパフ
ォーマンスなどを行っている。舞 台作品では、能美健志ソロダンスパフォーマンス「BIOTOPE」やproj
ect suara「sound+dance+visual」 (BankART 1929馬車道)等での公演、またオペラの舞台やバレエダ
ンサーとの作品でも映像による演出を手がけ、新しい世界を創り出している。

AKIHITO MIYAMOTO

90年代中頃からUKレアグル―ブム―ブメントに影響を受けクラブスタッフ兼DJとして活動開始。90年代
後半からは都内セレクト系レコードショップ勤務の傍ら、CLUB,bar,cafe等あらゆる場所にて勢力的に
DJを行う。今迄に井上薫,岩城健太郎,光等の他国内の著名アーティストと多数共演。House,Techno等
のダンスミュージックからJazz,REGGAE,DUB,WORLD迄ジャンルにとらわれないフリーフォームなDJスタイ
ルが持ち味!!

SAKAI(marginal)   http://marginal.rbrd.com/ http://www.flicker022.com/

1998年にDJキャリアをスタート。都内におけるFREE SOUL、CLUB JAZZシーン周辺での活動の後、2002SA
GARAXXとDJユニット“marginal”を結成。 活動の中心をお互いのホームタウンである横浜・町田エリア
を移す。2006年末にユニットとしての活動を休止。現在ソロとして毎月第4金曜【The Pub】@横浜長者
町Bar MOVE、 不定期開催【minor’s holiday】@横浜日ノ出町屯茶屋にレギュラー出演中。

Tap Dancer りりぃ http://freiheitschool.web.fc2.com/

1985年、岡山県出身。中央大学法学部法律学科在学。
20歳の時、タップダンスと出会い独学で練習を始め、
中央大学タップダンスサークル“Freiheit”(フライハイト)創設。
翌年、M-BEAT主宰Tap Dancer ASAKI氏に師事。
同年中に異例の早さでM-BEAT STEP UP Classを修了。
900人の在籍者を誇るクラスで、創設より3人目の修了者となる。
現在、Tap Dance Performance Team “TEAM-Freiheit”主宰の傍ら、同サークル監督を務める。
音楽性を大切にしつつ、自由な形のタップダンスを追求し、
ジャンルにとわれない活動をする新進気鋭のタップダンサーとして活躍している。

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2008-03-14

ザンビアの首都ルサカ、お役所突撃訪問 (本出版に向けて・その57)

ザンビアの首都ルサカ、お役所突撃訪問 (本出版に向けて・その57)
「自分に打ち勝つことは勝利のうちの最大のものである。」

プラトン:ギリシャの哲学者

今日の言葉

我が家の日めくりカレンダーより。

確かに。

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(アフリカを歩いていた時の日記より)

2003年9月8日

ザンビアの首都、ルサカに到着。2年前と変わった様子は無い。相変わらず特に目立つものの無い街だ。
もらった住所を目指しカイロ通りを歩く。到着すると紹介してもらったMr.Malayaは外出中で不在。30分
ほどして戻ってみると彼もオフィスに戻っていた。緊張しつつ、活動内容を説明、ジンバブエでの環境
観光大臣との植樹セレモニーの写真を基に、ザンビア政府よりも是非同様の援助をお願いしたいと告げ
た。「それではボスに相談してみます。」と彼は部屋の外に消えた。「はて?ボスとは大臣のことだろ
うか?」と僕は考えた。何しろ今逢っている人が一体どういうポジションなのかもさっぱり分からない
。数分もすると彼は戻って来て、「じゃ、ボスの所に行きましょう。」と言った。期待半分、不安半分

後ろを付いて行くとボスの部屋は彼の部屋の向かいにあった。ドアには”Director”と書いてある。こ
れまたどの位偉い人なのか見当が付かないが、部屋は大きく、ソファも置いてあって、それなりに偉い
人なのだという事は分かった。身形もきちんとしている。先ずは南アフリカ森林大臣の手紙を渡す。彼
は全部読み終える前に「で、用件は?」と聞いた。お願いしたいサポート内容を伝えると「それは難し
い。」と即答された。その間僅か彼の部屋に入ってから3分位である。これで僕のルサカミッションは終
わるのだろうか。力が抜けてきた。

「ジンバブエ政府から正式にザンビアに“こういう人物が来るので面倒を見てくれ。”という依頼が無
いと難しい。」と言われたので、「つまり正式なプロセスを踏んで依頼してくれと言うことですね。」
と言うと、「その通り」と言われた。これは情の入る余地は無さそうだと感じる。やっぱり飛び込みの
営業はお役人には通用しないのだろうか。すると、「NGOもあたってみたら?」とザンビアの環境NGO,
”Food & Trees for Zambia”を紹介してもらった。ムムム、非常に聞き覚えのある名前。南アフリカの
”Food & Trees for Africa”にそっくりだ。もしかして何か関係があるかも。と思いながら礼を言い、
オフィスを去る。既に午後4時。急がねば。

“Food & Trees for Zambia”のオフィスに到着。予想に反してオフィスは8㎡くらいの小部屋だった。
中に入るとデスクは一つだけ。そこに民族衣装の様は派手な柄のシャツを着た黒人の彼が座っている。
南アフリカ、ジンバブエの経験から、NGOというと白人のイメージがあったので、その事も又予想に反し
ていた。僕は第一声「南アフリカのFTFAと関係があるんですか?と聞く。「ええ、僕はFTFAで6年働いて
いたんですよ。」「それは素晴らしい。」僕はホッとした。何だか仲間に出逢った様で親近感が湧く。
彼の名前はエドウィン。

簡単に事情を話すと流石、理解が早く、直ぐに理解してくれた。先程逢ったDirectorの名刺を見せると
「上の意思を確かめずに門前払いはひどい。少なくともPermanent Secretary(秘書官)には逢って話す
べきだよ。」と言ってくれた。何だか頼りになりそうだ。この出逢いかエドウィンと僕は各所を走り回
る。環境観光省、南アフリカ大使館、日本大使館、日本のNGO、JICA、国連事務所、労働大臣。週末を挟
み、金曜日と月曜日の午前中計1日半の間にこれだけ周った。これといった目に見える成果は得られな
かったが、種を撒いたと思えば十分な役割を果たしたと言える。少なくともアースウォーカーのザンビ
ア入国の宣伝にはなった筈。

それにしても各所訪問して感じたことは、お役所の敷居の高さ。英語では”Red tape”と言うらしい。
何しろ環境観光省は計3回訪問したが、結局秘書官に逢うことは出来なかった。大使館、国連は先ず、入
り口のセキュリティーを抜けるのが第一関門。日本大使館では「午前中に出逢った領事に再度逢いに来
た。」と昼過ぎに戻ると、「お昼休み中だから連絡を取ることは禁じられている。」と急ぎの用だった
が、20分以上セキュリティー室で待たされた。「電話一本させてもらえぬか。」とこの時は無念な気持
ちだった。ま、何れにせよ非常に良い経験になった。「多かれ少なかれ事情は世界中だいたい同じで、
偉いお方に出会うのはそう易いことでは無い。」これが今回のルサカ訪問の感想だ。

日本円はどこの銀行、両替所でも取り扱って居らず、一時はてんてこまいだったが、日本大使館の土居
さんの助けでSDPCという日本人が経営するNPOを紹介してもらい、そこの江橋さんという方が快く円をU
Sドルとクワチャ(ザンビアの通貨)に変えて下った。感謝。SDPCは徳島県のお医者さんが始めたNGOら
しく、主にザンビア在住の日本人住宅を賃貸し、その利益を地域の警備組織運営に使用しているとのこ
と。

江橋さんは英国で3年間、アフリカ政治を勉強して修士号を得て、一年契約でSDPCを運営されていた。僕
より一つ上の32歳。見た目は僕よりも若かった。聞けば、なんとザンビアには約250名の日本人が滞在中
だそうだ。その中でも興味深かったのが、約10年間ルサカの郊外に住んでいらっしゃるお坊さん。是非
訪問してみたい。それからJICAの七輪プロジェクトも興味を惹いた。タンザニア、ケニアではJICAの紹
介で既に多数のアフリカ人が七輪を使って調理しているらしい。是非ザンビアでの普及活動も成功して
欲しい。

ルサカ出発前にエドウィンと一緒に中華料理屋に入る。2年前に一度来た事がある。その時はとても美味
しいラーメンがあった。その味が忘れられず、お世話になったエドウィンへのお礼も含め、再度「三色
ラーメン」を注文。残念乍、2年前の味とは程遠いラーメンだった。オーナーの中国人はキッチンに入っ
ておらず、ザンビア人のコックが想像に任せて作ったラーメンはスープも麺もラーメンと呼べるもので
は無かった。聞けばラーメンなんて注文する人は殆ど居ないらしい。ダウンタウンにポツンとあるその
店に来るお客さんは恐らく地元の人ばかりで、良く考えたら納得出来る。

月曜日の午後、ルサカから一路、ジンバブエとの国境のチュルンドゥを目指す。午後4時頃に戻って来れ
た。ポールはこれで無事、ザンビアに入国。その夜は久々に二人でビールを飲んだ。お互い、この4−5
日に起こった出来事を話し合う。やっぱり何でも話が出来る仲間が居るのは素晴らしい。家族に逢った
様にホッとする。その夜は久々に良く眠れた。

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2008-03-13

ジンバブエで出逢った警察官、その名も「関係ないね。」(本出版に向けて・その56)

ジンバブエで出逢った警察官、その名も「関係ないね。」(本出版に向けて・その56)
「確信を持つこと、いや確信を持っているかのように行動せよ。」
ゴッホ:オランダの画家

今日の言葉

我が家の日めくりカレンダーより

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2003年9月3日(その2)
(ジンバブエをあるいていた時の日記より)

ポールはジンバブエに入国する時は”Kingly Reception”(ジンバブエの環境観光大臣のセリフ)で、
床には赤絨毯が敷いてあったと言う。南アフリカ、ジンバブエ政府合わせて300人からの参加者で、南ア
フリカではテレビ放映もされ、大ヘん大掛かりなセレモニーだったらしい。セレモニーの為に米とブリ
ッジは2本あるうちの1本が通行止めになったという。

ポールも僕もこの日を楽しみにしていた。「ジンバブエからザンビアに入国する日は一体どんなセレモ
ニーになるんだろう。」色々な想像と余りに対照的なこの4人の静かな状況に二人とも正直落胆は隠せな
かった。しかもザンビア政府からの出迎えは無し。

運良くザンビアに入国出来たとしても、そこからどうするか。考え始めると決して心地良い状況では無
い。そしていよいよザンベジ川を渡る。橋の床は金属の格子になっていて5−60m下をゆっくり流れ
る川面が見えて綺麗だった。いよいよジンバブエを離れる。予想とはかけ離れた国境越え。それでもや
はり気持ちは高まる。いざ、ザンビアへ。橋を渡り終え、ダニエルは僕に言った。

「1987年、僕は夢を見た。水の中を泳いで地中の世界に入った。部屋に辿り着いて、そこにはテーブル
と3つの椅子があった。今僕が住んでいる家の台所はその時見た部屋と一緒なんだよ。」

「国境を越えられるだろうか。」という不安な気持ちと、「世の中不思議なことが山ほどありそうだ。
」という思いの交じり合った気分でパスポートコントロールオフィスを目指す。

橋を渡る途中、右手に見えるジンバブエの川辺の風景を目に焼き付ける。手前にはタイガーロッジのテ
ラスが見える。昨日はそのテラスでロベルトとシャニン、そしてザンビアに移住した五人家族、ポール
と僕でとても楽しい夜を過ごしたテラス。そのもっと向こうには毎朝日の出前に散歩した川沿いの景色
が見える。猿、鹿、猪、カバ、色んな種類の鳥。毎朝沢山の動物達に出逢った町一番のお気に入りの散
歩道。見渡す限り大自然のとてもきれいな道だった。名残惜しい気持ちになった。

ダニエルとマポサ、ポールと僕の4人でザンビアの入国管理局長を訪ねる。局長は何処と無く日本人風で
、寿司職人が黒人になった様な感じ。角刈り風の髪型がそう感じさせたのだろうか。感じの良い人だっ
た。ダニエルとマポサは5−6行のとてもシンプルなレターを見せながら「彼等を何とかビザ免除で入国
させて欲しい。」と頼んでくれた。4人とも固唾を飲んで局長の返事を待つ。返事ははっきりしていた。
局長にはその権限は無い。彼のボスから手紙で指示がある時のみビザ免除となる。ポールは英国籍でUS
60ドル、僕は米国パスポートを使っていたのでUS40ドルが必要となった。

困ったことになった。持ち金は50ユーロしか無く、しかも近所の両替所にはUSドルが無いと言う。仕方
なく、4人はもう一度ザンベジ川を渡り、ジンバブエに戻った。「ザンベジ川の上を歩いている夢を見て
、目が覚めたらとても疲れてたと言ってたよね。今こうしてザンベジ川の上(橋)を歩いて、やっぱり
君は疲れている。」ポールはダニエルに言った。そう言うポールも、僕も、マポサも、4人ともヘトヘト
な気分だった。ジンバブエに逆戻り。

4人で話し合い、僕が次の日、ユーロを換金して国境を越え、ルサカで円をドルに換金して国境に戻るの
がベストであろうとの結論に至った。ダニエルとマポサに御礼を言って別れを告げる。「僕は夢とビジ
ョンの違いを知っているよ。夢はそこ迄はっきり覚えられないものだよ。」別れ際にポールはダニエル
に言った。二人が去った後、気晴らしに二人でタバコをふかす。夕日が綺麗だった。やれやれ。持ち金
は僅かにマポサが残してくれたZim2千ドル程度。二人で話し合い、タイガーロッジには十分お世話にな
ったので警察を頼るしかないという結論になった。内心、二人とももう警察は懲り懲りだったが、已む
を得なかった。

トボトボと警察署を目指す。口数も少ない。署に着くと以前逢った警察官の”Doesn’t Matter”が居た
。これは彼の本名である。彼は僕等がチュルンドゥに到着した次の日、カロイのダニエルの指示で安全
確保の為に僕達を訪ねてくれて1時間程話をしたことがあった。

ジンバブエで出逢った面白い名前を他に挙げてみよう。”May Be”, “ More Blessing”, “Loveness
”, “Precious”その他にも面白い名前の人に逢ったが忘れてしまった。(因みにザンビアで初めて逢
った警察官はバイクに乗っていて、名前は”Speed Well”。冗談の様で本当の話だ。”Doesn’t Matte
r”は署長に僕達の事情を話してくれたが「タイガーロッジに行けと署長は言っている。」と言われ、仕
方なく昼間に別れを告げたロベルトとシャニンの居るタイガーロッジに戻ることにした。シャニンは「
本当は私達に逢いたくなって戻って来たんでしょ。」と温かく迎えてくれた。

次の日の朝、日の出前に起きて何時ものお気に入りのコースの散歩。川沿いを歩き、いつも通り猿、鹿
、カバ、鳥達に出逢う。きっと今日こそが最後のジンバブエ散歩だろうと思いながら素晴らしい景色、
鳥達の声を楽しむ。ザンビア側のザンベジ川沿いは木の伐採がひどく、野生動物は殆ど居ないので、こ
の散歩は貴重だった。7時過ぎに部屋に戻り、ポールの活動の新聞記事のスクラップブックと、南アフリ
カの森林大臣がアフリカ各国の森林大臣宛にポールのサポートを依頼したレターをポールから受け取り
再び国境を目指す。「ザンビアの首都ルサカでUSドルを入手、次の日に国境に戻り待ち合わせる。」と
いうことでポールに別れを告げて再びザンビアとの国境を目指した。

再びザンベジ川を今度は一人で渡る。昨日出逢った寿司職人風の局長の取り計らいで特別に一時ザンビ
アに入国、最寄の両替所でユーロをUSドルに替え、国境に戻る。無事ビザを購入して正式にザンビアに
入ることが出来た。先ずは一安心。力を蓄える為に定食屋に行く。ジンバブエのサザはザンビアではシ
マになる。名前は変わるが品は一緒である。が、ザンビアのシマは巨大な餃子の様に模られていて見た
目に綺麗。その分値段はジンバブエより高い。これで腹も治まりいざルサカへ。

国境でザンビアからの闇材木輸出を取り締まる森林省の役人が居たので、彼に事情を話すとルサカの彼
のボスに連絡を取ってくれ、ルサカのオフィスの住所もくれた。行き先も決まり、ミニバスでルサカへ
。2001年6月に日食を観る為にルサカを訪れてから2年以上が経つ。まさかこんなに早く再びルサカを訪
ねるとは思ってもみなかった。

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2008-03-12

夢 (本出版に向けて・その55)=?ISO-2022-JP?B??=

夢 (本出版に向けて・その45)=?ISO-2022-JP?B??=
「勇気のある人間は自分自身のことはいちばんおしまいに考えるものだ。」
シラー:ドイツの詩人、劇作家

今日の言葉

我が家の日めくりカレンダーより。

なかなか出来ることじゃないですよね。

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(ジンバブエを歩いていた時の日記より)

2003年9月3日

9月3日昼過ぎにチノイから二人の役人が登場。二人とも環境観光庁からで、一人は森林担当、一人は観
光、水資源担当。約3週間前にチノイに滞在した時にお世話になった二人だ。ダニエルとマポサ。首都
ハラレの環境観光庁からは誰も来なかった。ポールと僕、彼等の計4人でジンバブエ最後のささやかな植
林セレモニーが行われた。

最初の2本は何かとお世話になったカウンセラーオフィス(日本で言う区長さんの事務所)前の庭に植え
られた。オフィスと同じ建物に一家6人で住んでいる運転手のウィリーも居た。そしてその横には見た事
のないおじさんが魚が一匹入ったビニール袋を持って立っている。マポサはこのおじさんにポールの活
動を丁寧にショーナ語で説明、おじさんは「ムスッ。」とした顔で聞いている。身形はきちんとしてい
るが、どことなく胡散臭い雰囲気。暫く目が合ったが、僕は何故か挨拶をしなかった。もちろん向こう
も「ムスッ。」としたまま。

ポールは木を植える時にウィリーに御礼を言った。「面倒見てくれて有難う。」彼の子供部屋の床を提
供してもらったが、あまりにもネズミが多く結局外で寝て居た。そして後半はタイガーロッジが面倒を
見てくれて居た。いずれにせよ、確かに彼にはお世話になった。僕も御礼を言った。2本目は僕が植えた
。”Future for Zimbabwe”と言った。頭の中では”For Zimbabwe’s Future”と言うつもりだったが何
故か口をついて出た言葉だった。何だかニュアンス違い「まずかったかな?」とも一寸思ったが、皆拍
手をしてくれた。「ま、大丈夫か。」と思い直す。

(僕達はウィリーの家の裏で野宿していた。夜中目を覚ますと、象がほんの2mほど先をノッシノッシと
歩いている姿を見つけたり、寝ている間にポールのバックパックに忍び寄る泥棒が来たりと、なかなか
気の置けない野宿だった。)

ポールと僕の計画はザンビア政府の人達も呼んでジンバブエ側、ザンビア側のチュルンドゥ(国境沿い
の同じ街の名前)で各々植樹セレモニーだったが、実際はこの様なこじんまりしたものだった。そして
見た事の無いおじさんの存在は途中から忘れて居た。確か植樹の最中にどこかに行ってしまったのだと
思う。そして3本目を植える為にチュルンドゥバレーモーテルに移動。

このモーテルには大変お世話になった。Environment Africaのシャリーンには「オーナーが知り合いな
のでチュルンドゥに着いたら是非。」と言われていたので二人ともチュルンドゥ迄辿り着けば大丈夫と
思っていたが、実際来て見ると、「シャーリーン?はて?」と言われ二人とも肩を落としたのが既に一
週間前。シャーリーンは40歳の誕生日を祝う為、僕等から100kも離れていないマナプール国立公園
に居て、連絡不可。この時は二人とも運の悪さを感じた。結局このモーテルに泊まることは無かったが
、ほぼ一文無しの僕達に電話をかけさせてくれたジョセフとアレックス、ソーセージとポテトチップス
、ファンタを持って来てくれたバーマンの恩は忘れない。

カロイのダニエルと連絡が取れた後は朝、昼、晩の3食をこのモーテルから提供してもらい大変助かった
。何かと思い出の多いこのモーテルの中庭でBeef Tree(オーストラリア産らしい)の木をホテルのマネー
ジャーと一緒に植えた。その植林前の空き時間にポールが言った。「さっきのおじさん、大統領ハウス
の人らしいよ。」「えっ?大統領ハウスってあのCIOのこと?」「そうそう。」CIOとはセントラルイン
テリジェンスオフィス。大統領の側近達で、そんな存在全く知らなかったが、チュルンドゥの国境近く
を散歩している時に、たまたま街案内をしてくれた若者に「あのレンガ造りの建物は何?」と聞くと、
ちょっと緊張気味に「CIOのオフィスだよ。」と教えてくれた。その立派な建物は国境沿いの小さな街に
は不釣合いだった。何だか共産党の国に来た様で、それを聞いた時はちょっと寒気がした。それ以来、
その建物の前を通る時はなるべく建物の方を見ない様にしていた。中から誰かが見てるんじゃないかと
、薄気味悪い気がしていた。

あのおじさんはその建物からやって来た人だったらしい。ショーナ語で話していたが、ポールは注意深
くキーワードの「大統領室」を聞き取っていたらしい。こんな所が頼りになる。何れにしても何であの
場所に突如登場したのだろうか。「まぁーたまたま通りかかったんでしょ。」二人はそのことは忘れた

そして最後の木はタイガーロッジに植えられる。場所はザンベジ川の畔。川からは5m程しか離れてい
ない。正に最後の1本にふさわしい場所だ。ロベルトとシャニーンが見守る中、ポールが植え、僕が手伝
う。モーテルと一緒のビーフの木だ。

ロベルトとシャニーンはとても温かいカップル。彼等もやはりバラ農園を追い出された白人カップルだ
った。15ヶ月の娘さんが居る。とても和やかな雰囲気。派手さは無いが温もりのある植樹だった。「最
後の植樹が人数こそ少ないものの、こうやって良く知っている友達と行えたことに感謝します。」とポ
ール。全く同感だった。

チノイから来たダニエルはっても面白い、興味深い話をこの最後の植林の前に、雄大なザンベジ川の流
れを見ながらしてくれた。「1976年9月、夢を見た。僕はザンベジ川の水面を歩いていたんだ。向こうか
ら歩いて来て、そこから陸に上がって、あっちに歩いて行ったんだよ。」と指さす。「そこからって、
じゃあ正にこの場所なの?」「そう、この木も覚えているよ。」と川に向かって伸びる木を指さす。一
寸信じ難かったが、彼の確信を持っている様子を見ると「そういうこともあるんだな。」と思う。「夢
が覚めるととっても疲れてた。1976年9月。27年前だよ。」この日は9月3日だ。そのダニエルの話が手伝
って、最後の植林は皆を特別な気分にさせてくれた。ダニエルはロッジを去るとき蛇口から出る水を手
ですくって飲みながら、「これはザンベジ川の水だね。ちょっと飲んどきましょう。」と言った。

ジンバブエ最後の4本の植林を終え、ロベルトとシャニンに別れを告げ、国境に向かう。国境沿いのテイ
クアウトショップでハンバーガーとスプライト。ダニエルは近くの店でサザを食べてる。熱い午後。皆
言葉少ない。「国境を無事に越えられるか。」その日一番の関心事だった。イギリス人はUS60ドルのビ
ザを買う必要があると聞いている。ポールも僕もドルを持っていなかったので、ダニエルとマポサの力
でビザ無しでザンビアに入れる様にザンビア政府を説得してもらうしか道は無さそうだった。五分五分
よりも分の悪そうな計画だ。そのことが4人の気持ちを重くしていた。

(写真はイメージです。)

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2008-03-11

象に追いかけられる(本出版に向けて・その54)

象に追いかけられる(本出版に向けて・その44)
恋は宇宙的な活力である。

夏目漱石:小説家

今日の言葉

我が家の日めくりカレンダーより。

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(ジンバブエを歩いていた時の日記より)

2003年9月2日

只今タイガーロッジのテラス。目の前にはザンベジ川がゆっくりと流れている。午後4時過ぎ。結局9
月1日に国境を越えることは無かった。セレモニーがある筈の1日、お昼を過ぎても誰も現れない、電
話も無い。待ちかねてポールが連絡をとってみると環境観光大臣はUNの会議でキューバ。ポール受け入
れ国のザンビア政府はストライキ中で連絡が取れず困っているとの返事。最後まで予測不能なジンバブ
エのお役所の人々。先週金曜日にはポールは環境観光大臣のスピーチ材料として各種アイディアを書き
上げることを頼まれ「月曜日に打ち合わせしましょう。」ということになっていた。蓋を開けてみれば
大臣は不在。そしてそれを連絡する意志すら無い。最後にきてこの事態はポールと僕を絶望的な気分に
させた。

「もう自分達で国境を越えようか?」二人で話し合い、もう一日待ってみようということになった。そ
して僕はその日の宿を探す為にポールの新聞記事のスクラップブック片手にタイガーロッジを訪ねた。
ポールの活動を説明しながら宿の提供を交渉。即OKしてくれた。心の中でガッツポーズ。場所はザンベ
ジ川のほとり、完璧なロケーション。今、丁度夕日が綺麗に輝いている。ジンバブエ政府のスローモー
ションのお陰で今、この夕日を楽しんでいる。

(日記には書いていないが、この日、タイガーロッジに向かう途中で、ポールと僕は象に追いかけられ
た。国境通関待ちのトラックの荷台に積まれた穀物を象が食べにくる為、国境沿いの野生の象達はいつ
も必要以上に人間から威嚇されていた。そんな気が立っている象が茂みから登場。タイガーロッジのあ
る方向に歩いて行く。

僕達はリュックを背負い、その後ろを同じ方向に向かって歩いていた。すると、目にも留まらぬ速さで
象は身を翻し、「ファオーーン!」という地響きに近い嘶きと共に全力でこちらに向かって来た。僕達
は咄嗟に逃げたが、工事現場の柵に行く手を阻まれて、本気で「あー、こんな処で象に踏み潰されて死
ぬのか。」と思った。が、象は寛容にも途中で失速、振り返って元の道をノシノシと歩いて行った。「
野生を舐めるなよ。」後ろ姿がそう語っていた。それにしても、象があんなに早く動ける動物とは夢に
も思わなかった。振り返る速さは馬並みだった。)

ここのオーナーは白人のカップルで15ヶ月の娘さんも居る。カロイでバラ農園を持っていたが、昨年
政府から追い出されここに移ってきたとのこと。それでも何も脅しを受けなかった分、他の農場を追わ
れた白人よりはマシだと言う。今日こそ多分、ジンバブエ最後の夜。夕食はオーナーが手作り料理を招
待してくれた。楽しみだ。明日は環境観光庁から大臣の代理、そしてチノイで僕等の面倒をみてくれた
森林課の人達が来る。

この夜はとても楽しい夜だった。オーナーカップルの友達はジンバブエからザンビアに移住。お父さん
がザンビアでタバコ農場を経営する一方、奥さんと子供はジンバブエの首都ハラレで別居生活を続けて
いる。ジンバブエに住む白人の人達の苦悩が伺えた。オーナーカップルは英国籍の為、娘さんにはジン
バブエ国籍は与えられず、英国籍を取る為にも1200ドルの手数料が必要とのこと。

2ヵ月半の旅で出逢った多くジンバブエの人達は人種にかかわらず苦しんでいた。グレートジンバブエ
遺跡に象徴される立派な文化を持つこの国の人達が先祖の智恵を再び身につけて世界の人達に「ジンバ
ブエ復活宣言」を行う日が近く来ることを願います。ビバ、ジンバブエ。

(写真はイメージです。)

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2008-03-10

Food is Meditation:食は禅なり。 (本出版に向けて・その53)

Food is Meditation:食は禅なり。 (本出版に向けて・その53)
「時はよく用いる者には親切である。」
ショーペンハウエル:ドイツの哲学者

今日の言葉

我が家の日めくりカレンダーより。

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(ジンバブエを歩いていた時の日記より)

2003年8月31日(その3)

昨日、最後の28kmを歩き終え、ホッと一息。後は国境を超えてザンビアに入るのみ。日が沈み、Ch
irunduに到着。ポ−ルと無事ジンバブエを歩き終え、抱き合い、ささやかながら、スプライトで祝った
。乾杯。この一週間は山あり、谷あり。正にサバイバルゲ−ムの様だった。

只今日曜日、午後4時。Motelのテラス。テレビではジンバブエ対スワジ王国のサッカ−がライブで放映
中。後半戦が始まる所。1−0でジンバブエがリ−ド中。前半開始早々のゴ−ル。Motel中で「ワ−−ッ
!!」と歓声が上がった。是非共ジンバブエに勝って欲しい。
(僕達はこのモーテルには泊まってた訳では無くて、近くで野宿していた。)

明日、9月1日はジンバブエ政府がアースウォ−カ−(ポ−ル)を送り出し、ザンビア政府に紹介、ポ
ールの活動サポートを引き継ぎする大事な日だ。ポ−ルは金曜日にジンバブエの環境省の人に頼まれ、
環境観光大臣のスピ−チ材料としてジンバブエの問題点、改善点を書き上げている。今迄2人で話して
いた事をリストアップしてみた。その中には僕のアイディア、はちみつ産業の育成(プロポリス等、は
ちみつ健康食品の育成)も入っている。キ−ワ−ドはSustainability。日本語だと「継続可能性」とな
るのだろうか。(実際には持続可能性。当時はそんな言葉を知らなかった。)

只今ジンバブエ2点目をゴ−ル。大歓声。2−0。テレビ前は人であふれ始める。(結局2−0でジン
バブエ快勝!)

ジンバブエを悩ませる問題。石油不足、インフレ、食料不足。今日の午前中はザンベジ川のほとりでポ
−ルと共にゆっくりした。カバ、ワシ、ワニ、綺麗な鳥、動物達であふれていた。その川辺でポ−ルの
書いた日記の一節。「NGOはジンバブエを助ける為に大豆等を送り、そのジンバブエは外貨を得る為にタ
バコ、綿花等を輸出している。何と非効率な事か。」正にその通りだ。国力の充実。先進国の力を借り
ずに、真の国力充実を実現させるリ−ダ−が必要だ。とポ−ルの論点は続く。 これは日本にも当てはま
り、世界共通の課題であると思う。

分業は益々勢いを得て、日本はハイテク産業に人材が集中している。小、中学校の社会の時間に習った
記憶を辿れば、日本の大豆、小麦等の主要穀類の輸入率は全て90%を超えていたと思う。石油は勿論
の事、これらの食料の輸入が何らかの形でストップされたら一体日本はどうなるのだろうか。ポ−ルの
掲げる農業のキ−ワ−ドは「パ−マカルチャ−」多品種少量栽培だ。

3ヶ月を過ごした南アフリカのRustler's Valleyで初めてこのパ−マカルチャ−という言葉を耳にした
。ここのオ−ナ−、フリックによれば、これは日本人のアイディアらしい。名前は忘れてし まったが、
「One straw revolution」という本が日本人によって書かれているらしい。是非読んでみたい。(福岡
正信さんの「わら一本の革命」のこと。福岡さんのことも勿論当時は知らなかった。)

多品種少量栽培する事により植物同士が助け合い、農薬を使わずに野菜、果物が育てられ、土地が痩せ
ずに永続的に収穫が見込める。正に国力の充実だ。単品多量生産は効率が良さそうだが、農薬を使うこ
とで土地が痩せて行く。しかもその後不必要な物流が発生する。物流には石油が欠かせない。僕は商社
に6年間務め、世の中のシステムに余り疑問を持たず、担当商品の販売促進に努めたが、大本を辿って
行くと、一体誰がこのシステムを創り上げたのだろうという疑問に今ぶつかる。日本は、世界は、この
ままのシステムで経済力を伸ばす為に突き進んで大丈夫なのだろうか。「持続可能性」という言葉はジ
ンバブエだけで無く、世界共通のキ−ワ−ドの様だ。

1992年、リオデジャネイロ、2002年、ヨハネスブルグで地球サミットが行われた。ポ−ルはリ
オの地球サミットに向けて1990年カナダを出発、徒歩でサミットを目指し、その誠意が人々に伝わ
った。2002年のサミットにも参加、オ−プニングセレモニ−を含め、サミット期間中何度も植樹を
行い、そこには現英国総理大臣ブレアも参加していたらしい。ポ−ルによれば、次回は中国で開催の噂
だと言う。世界中の人達が一斉に地球環境保護、持続可能性の発展を目指すべき時代に僕等は生きてい
る。

ポ−ルがアイスランドで体験したビジョン。それは「緑の楽園」と「砂漠の荒野」の二つの世界。余り
にも体験が強く、内容を理解し始めたのは数ヶ月後、カナダに戻ってからの事だと言う。そしてその内
容を一気に書き出したそうだ。その後、ポ−ルの人生は環境保護、促進に捧げられる。ビジョン体験の
事は詳しくは人に語る事は少ないと言う。彼と出逢いジンバブエを一緒に旅してから、毎日自分が成長
していると感じる。生まれて初めて、ひもじい思いをして、情けなく感じた事もあったが、その体験が
今生かされて、生きる為に必要なものは何かが分かる。食べないと力が湧いてこない。アイディアが生
まれない。会話が弾まない。これは今回の2人の共通意見だ。空腹な時、とても些細な事で口論もした
。今考えると「何故?」と思うが、その時は必死で、その口論は避けられないものだった。その体験を
乗り越えて、今ポ−ルはジンバブエの、世界の向上への解決策、秘訣を書いている。僕も感じた事、ア
イディアをどんどん書いていこうと思う。

マグンジェで、薬草を育てるカトリック教会のグル−プに逢った。そのマネ−ジャ−は小学校、中学校
を訪問して、「エイズを防ぐには貞操を守り、性交を避けるに限る。」と力説しているらしい。エイズ
が深刻な問題であると再認識すると同時に、そのメッセ−ジでは本当にエイズを減らす事は出来ないだ
ろうと感じた。

只今再びザンベジ川のほとり。丁度夕日が沈んだ所。川面に映える夕日がとても綺麗だった。対岸には
ザンビアが見える。明日の夕日はザンビアで見ている事だろう。川辺では村の子供が釣りをしている。
後ろでは子猿が遊んでいて、ポ−ルは横で新聞を読んでいる。

どうやったらエイズを減らす事が出来るか。子供達の若いエネルギ−を前向きの楽しいエネルギ−に使
うべきだと思う。例えばザンベジ川のほとりの子供達は釣りが楽しめる。都会、平地の子供達には何が
あるだろう。地域の未来に、国の未来に、世界の未来に可能性を感じて、その一部になろうとする大事
なエネルギ− を大人達が子供に与えるべきだ。

ジンバブエには、アフリカには豊かな土地がある。その土地を効率良く使い、国力を充実させる。子供
達にその具体的なビジョンを見せる事が出来れば、素晴らしいエネルギ−が生まれる。そして食生活が
充実すれば、心身共に充実して、子供達から更なるアイディアが生まれる。栄養のバランスが取れれば
、既にエイズの人達にも抵抗力が生まれる。

「Food is Meditation」これは初めて出来た、エイズに感染している友達、スイス人のステファンが言
っていた言葉。今、よりこの言葉の意味が理解出来る。3食サザではアイディアが生まれにくい。食を
楽しみ、人生を楽しむ。「言うは易いが。」と人は言うだろう。が、決して不可能な事では無い。世界
の仕組みが、ジンバブエの仕組みが可能性を縮めているだけで、皆が願えば、充分実現可能な世界だ。


(写真はイメージです。)

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4月12日大阪、植林音楽祭「そらの木、こころの木」のお知らせ・その2=?ISO-2022-JP?B??=

4月12日大阪、植林音楽祭「そらの木、こころの木」のお知らせ・その2=?ISO-2022-JP?B??=
チラシの裏面です。

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4月12日大阪、植林音楽祭「そらの木、こころの木」のお知らせ

4月12日大阪、植林音楽祭「そらの木、こころの木」のお知らせ
4月12日大阪の植林音楽祭「そらの木、こころの木」に参加します。

(クリックで画像拡大出来ます。)

これは、4月15日〜20日に行われる「内モンゴル植林ツアー」の10万本の苗木代を捻出するべく企画され
たイベントで、この植林ツアーには今、中国を歩いているポールと木乃実さんも参加します。

http://maketheheaven.com/syokurin4/index.html

4月12日のイベントは、この内モンゴル植林ツアーのゲストでもある、沖縄西表島出身の音楽家、「まー
ちゃんうーぽー」さんが主催されています。

内モンゴル植林ツアーには行けませんが、1本でも多くの苗木がモンゴルに植えられる様に4月12日のイ
ベントを盛り上げたいです。

なんと会場は1580席。

皆様、転送大歓迎ですので、宜しくご協力をお願い致します。

=====================================
http://ameblo.jp/soranoki-kokoronoki/
(そらの木、こころの木:ブログ)

○4月12日(土)○

大阪府豊中市・市民会館大ホール
(豊中市曽根東町3-7-1 TEL 06-6864-3901 )

○12時開場  13時〜18時30分 ○

○チケット○
チケット前売:1500円  学生以下:500円チケット  
当日:300円UP (幼児&介護者は無料)
  

このチケット代金には、
苗木募金10本分を(学生以下は3本)含んでいます

■目的■

『地球に緑と笑顔を増やすこと』を目的とします。
 
地球温暖化の今、私たちに「出来る事」や「植林」の大切さ考えます。
 
また、このイベントの収益金は「内モンゴル植林ツアー」の苗木募金へ寄付します。

■プログラム ■

●13時〜15時30分●   

第1部 『植林に行こう』
トークライブ

世界100カ国以上を旅し
こどもたちのために
チャリをこぎ世界中で
話まっくっている
男性

地球のどこにいても
生きれる人間になりたいと

世界を旅し
戦争で犠牲になった人の数だけ
地球に木を植えつづけている
新米お父さん

2人が
みて・感じた
<ちきゅう>

ちきゅうに
住む
あいするもののため

かれらは
なにを語るのか

    ○ゲスト○
松本英揮(環境活動家) 
中渓宏一(歩いて木を植えるお父さん)

●16時〜18時30分●    
第2部 『そらの木、こころの木』ライブ
子どもからお年寄りまで楽しめる音楽祭

○南ぬ風人まーちゃんバンド(風と大地の島唄バンド) 
○風人ブドゥリ太鼓(西表島エイサー)

ちきゅうをあいする
100人に
えらばれた

アーティスト
「風人」(かじぴとぅ)=「自然と共にいきる」

かれらが

表現する

音たちが

こころの

風をおこす

主催:「そらの木、こころの木」実行委員会

共催&お問い合わせ
NGO風人ネットワーク(風人の家)  
電話:06-6101-8818  FAX06-6889-7731   
大阪市淀川区西中島南方1-13-13-2F  
メールkajipito@painukaji.com   URL http://www.painukaji.com

http://ameblo.jp/soranoki-kokoronoki/
(そらの木、こころの木:ブログ)

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2008-03-09

野生動物に出逢う。 (本出版に向けて・その52)

野生動物に出逢う。 (本出版に向けて・その52)
「悲しみの為の唯一の治療はなにかをすることだ。」
ジョージ・ルイス:イギリスの哲学者

今日の言葉

我が家の日めくりカレンダーより。

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(ジンバブエを歩いていた時の日記より)

2003年8月31日(その2)

その後残りのサンドイッチを食べ、チェスを2ゲーム楽しんだ。残念ながら僕の連敗。日差しのピーク
は過ぎ未だ蒸し暑かったが歩き易い時間になってきたので再出発。結局この池で2時間程休憩した。や
がて縁石表示を発見。「328km」「エーーッ!。」二人とも驚く。二つの池でゆっくりし過ぎて思
ったよりも全然歩いていない。チュルンドゥ迄は24kmもある。しかも時刻は恐らく午後3時頃。「こ
りゃ参った。」と二人で早歩き。陽が沈めばライオンに出逢う確立は確実に増す。

未だ気温は高い為、早歩きで汗ばんできた。ここでまたツエツエバエの登場。以前程では無いが、やっ
ぱりしつこい。お互いの背中を叩き合い、早歩きで歩き続ける。日差しは幾分弱まり、そうすればハエ
は減るかと期待したが、一向に減る気配は無い。すると左側から「ガサッ。」と音が聞こえる。一瞬「
ハッ。」として良く見ると3匹の象だった。「ワーー。」二人で喜ぶ。動物に出逢うと歩く元気が湧い
てくる。今度は右側でまた「ガサッ。」さっきよりも小さい。今度はイノシシだ(こちらではWart Hog
というらしい)。僕は亥年生まれの為、自分の仲間を見る様で嬉しく、思わず笑いが込み上げる。頭で
っかちで歩く姿が何ともコミカルで可愛らしい。林の中に消えて行った。

陽は沈み、村まであと2kmとなった。ここまで来れば恐らくライオンの心配は無いだろうが油断は禁
物。ラストスパート。これで僕は2ヶ月と一寸。ポールは3ヶ月と一寸歩き続けたジンバブエを完歩し
たことになる。清々しい気分だ。やっとチルンドゥに到着。二人で抱合った。

マグンジェの政府用ゲストハウスを出発して以来の2週間程、宿には苦労している。殆どが野宿。後は
先生の家に1泊、お店に1泊、水道管理室に2泊、そして警察署に1泊。

今回のジンバブエ徒歩で何回か警察を訪れたが正直良い印象は無い。特に国立公園内の街、マクティ(
Makuti)で、ライオンが居る為野宿が出来ず、已む無く警察署で一泊させて頂いたが、あれを最後にし
たい。(もう国境を越えるだけなのであれで最後であろう。)

その日二人は27km歩き、モーテルとの宿交渉も上手く行かず、夜9時頃、クタクタで署に到着。先
ず目に入ったのが手錠をかけられ床に座り、脅えた目をした16,7歳の若者。彼に対する警察の態度
は見逃せないものがあった。明らかに警察であるという立場を利用して脅える若者を更に脅えさせるこ
とを楽しんでいる様子。学校のいじめと同様だが、それ以上の恐怖感を見ているこちらに与える。その
横では女性が警察に何かの事情を説明しているが、聞いている警察の態度は傲慢そのもの。

マグンジェで出逢ったエディーによれば、ムガビ大統領は軍と警察を見方につけて言わば恐怖政治を布
いている様子。マグンジェでナモと早朝マラソンをしている時に軍隊のマラソンシーンを拝見したが大
声で掛け声をかけながら走っている。掛け声の内容をナモに聞くと、「反対党のリーダーはロバだ、ロ
バだ。」と言っているらしい。それじゃまるで子供の喧嘩だ。大人がやっているだけにそれ以下とも言
える。そんな事実を考えると、警察が如何に権力を利用して非力な市民を苦しめているかが伺える。

その日、そんな警察のシーンに出くわして息の詰まる様な思いがした。信用の置けないリーダーに管理
され、目に見えない恐怖に脅える。決して健全な国では無い。

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2008-03-08

アフリカの自然は奥が深い (本出版に向けて・その51)

アフリカの自然は奥が深い (本出版に向けて・その51)
「初めに計画せよ。然る後に実行せよ。」
モルトケ:ドイツの軍人

今日の言葉

我が家の日めくりカレンダーより。

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(ジンバブエを歩いていた時の日記より。)

2003年8月31日(その1)


ポ−ルは94年5月15日にサンフランシスコを出発、平和のメッセ−ジと共に一本の木を植える為に
、ボスニア人とセルビア人(イスラム教徒とキリスト教徒 とも言える。)が争うサラエボに向けて歩き
始める。

アメリカを徒歩で横断、ワシントンD.C.からロンドンに飛び、ド−バ−海峡を超え、そこから再び
サラエボへ歩き始め、約1年後の95年4月22日、Earth dayの25周年記念日に、サラエボ市内の公
園にポ−ルは一本の木を植える。彼はボスニア、セルビア間の最初の平和会議の直前、ボスニア側の将
軍、牧師等 500人に対して平和のメッセ−ジを説く。サラエボに向けて歩く間中、ポ−ルはずっと、
戦地に入っていった際の考え得るあらゆる状況を想像し、それに対して自分がどう対処するかをシュミ
レ−ションしながら歩いていたと言う。正に命懸けの仕業だ。

最後のジンバブエ徒歩は約28km。既に国境沿いの町Chirunduにリュックを置いて来た為、荷物無し
のリラックスした徒歩だった。しかもMotel が用意してくれた卵とトマトのサンドイッチを2つづつ持
っていたので、正にピクニック気分。ただしライオンテリトリ−を歩いている事には変わりは無い。そ
してツエツエバエも健在だ。

Chirunduのお役所の女性からツエツエバエは黒い服に集って来ると聞いた為、ポ−ルはシリア政府から
の贈り物の、アラファト氏が愛用している布(白地に黒の格子柄)をアラファト氏同様、頭に着用。僕
は白いTシャツを頭全体に覆う様に被った。これで2人はライオンテリトリ−を歩く国籍不明のコンビ
になった。

日差しは相変わらずキツかったが、風が清々しく気持ち良い。未だ汗もかいていないのでツエツエバエ
も4−5匹しか見当たらない。やっぱり車通りは極端に少なく、誰も居ない道路の真ん中を2人で気持
ち良く歩く。国立公園を2人占めしている気分だ。前回の必死感と対照的、爽快感一杯に歩き続ける。
鳥の鳴き声も聞こえる。

2−3km歩いた時点で右側に池を発見。動物が居ないか、そっと見に行く。カモの様な鳥が水辺を歩
く以外は動物の姿は無い。「一寸ゆっくりしようか。」とポ−ル。木陰に座り、小さい池ながらも水辺
の景色を楽しむ。そして何とも素晴らしかったのが何種類もの鳥のさえずり。「こんな所でキャンプし
たら最高だね。」とポ−ル。2人でサンドイッチを頬張る。シンプルながら、とても美味しかった。

しばらく木陰でゆっくりした。僕は地面に水平に伸びる木の上に横たわり鳥のさえずりを聞いているう
ちに、数分ではあったが眠りに落ちる。何とも和やかな気分。もう二人ともすっかりリラックス。ライ
オンの存在を忘れた訳では無いが、「大丈夫に違い無い。」という自信が二人を満たしている。道路に
戻り、再び歩き始めると、また間も無く池が現れる。さっきよりも少し大きめの池だ。「また行ってみ
ようか。」とポール。

陽が高く昇っていた為、木陰を求めて池の反対側まで歩く。池の水は結構澄んでいる。「ワニ居るかな
?」「いや、その可能性は低いね。」とポール。二人とも靴を脱ぎ、膝まで水に浸かる。気持ち良い。
ポールは特に小指のまめが驚くほど大きくなり熱を帯びていた為、池の水が足を癒してくれた。水面を
注意深く見守るが生物の気配は無い。僕はパンツ一枚になってザブンと水に浸かる。最高に気持ち良い
。ポールはTシャツとズボンのまま水に浸かった。足元は泥でぬかっている。僕はその泥を掴み手、顔に
塗りたくった。独特の臭みがあったが気にせず、「ウォーーッ!」とポールにほえてみる。楽しい一時
。泥を落とすとなんだか肌がツルツルになった気分。そんな事をしながら時にはプカプカと体を浮かべ
暫く池の中の時間を楽しんだ。最初なんなに緊張したライオンテリトリーて今や泳いでいる。そんな状
況が可笑しかった。

が、次の瞬間二人とも「あっ!。」と驚く。池から上がってみると、足に茶色い模様が見える。「??
?」近づいて見るとそれはヒルの様な生き物で体長1cm程。それが足中所狭しと5−60匹はくっつ
いている。「ヒーーッ!」思わず悲鳴をあげたくなる光景だった。僕はヒルかと思い、大変なことにな
ったと思った。ネパールで2,3匹のヒルに食われたことがあるが、取るのに相当苦労した。5−60
匹となると絶望的だ。

運良くそれはどうやらヒルでは無かった。ゴシゴシこすると6−7割は離れていった。それでも結構し
つこい。水で荒い流す為に池に入ると新たに足の裏にくっついてくる。10分程奮闘してやっと全部(
多分)取ることが出来た。途中指に乗せて観察してみると、伸びては縮んでアメーバの様に動き回る。
決して気持ち良い生き物では無い。ポールはビルハジアだろうと言った。「これが噂の?」

ポールは以前、僕が川に飛び込んだ後に説明してくれた(飛び込む前でも良かったが)ビルハジア。何
でも肌を通して体内に入り込み、内臓に寄生するという何とも気持ち悪い生き物。薬を飲めば大丈夫ら
しいが二人は恐怖した。でもあの1cm近くある生き物が肌を通して体内に入るとは考えにくい。水分
が抜けきった状態で小さくなって体内に入り体液で元の大きさに戻るのだろうかとも考えたが、もしそ
んな生き物が居たとすると寒気がする。「ま、大丈夫でしょ。」と言いながら二人ともちょっと落ち込
み気味。やっぱりアフリカの自然は奥が深いと感じる。

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2008-03-07

命懸けで歩く (本出版に向けて・その50)

命懸けで歩く (本出版に向けて・その50)
「忍耐は仕事を支えるところの一種の資本である。」
バルザック:フランスの小説家

今日の言葉

我が家の日めくりカレンダーより。

======================================
ジンバブエを歩いていた時の日記より。

2003年8月30日

最後の80km余りは国立公園で、景色は素晴らしかった。ジンバブエの大部分は高地にあり、首都ハ
ラレは標高1500m位はある。ハラレから国立公園に入る迄の270km余りも1200−1700
m位の標高で、夜はかなり冷え込んだ。景色も左程変わらない。国立公園に入ると小さいながら山が沢
山出て来て目を楽しませてくれた。日本の紅葉程では無いが、赤や黄色に色づく木々がとても綺麗だっ
た。

そしてもう一つ、大きな違いは「ライオンが出るかもしれない。」 という緊張感を感じながら歩く事だ
。最初の40km弱は未だ標高も高く、木もまばらで見通しが良い為、何かが突然出て来るという感じ
も少なく、むしろ期待外れの感があった。それでも猿の群れに出会ったり、鹿の子供に出会ったり、た
まに出会う動物が僕等の好奇心を保ってくれた。

大きな変化は公園に入って40kmを超えた時点で起こる。標高が1200mから、5−600mに一
気に変わる。「Zambezi Escapement」というサインを過ぎると目の前に素晴らしい景色が広がる。5−
600m下には平原が広がり、所々にバオバブの木が見え、そのユニ− クな木の形が手伝って、何だか
別の惑星の森を見ている様な気分になる。そして鳥のさえずりが平原中から、山の裾野中から聞こえ、
種類も多様で耳に何とも心地良い。2人で暫くその音を聞き、ポ−ルはほんの一部ではあるが、その音
をミニディスクに録音した。

そして山を下り、平原に入る。湿度が上がり、「ムッ。」と気温が上がる。景色が変わった。木の密度
は増し、茂みは断然深くなり、道路の脇に沿って茂みが続く。背の高さ位あって、その後ろに何がある
のか見えない。初めて恐怖感を覚える。2人とも無口になった。僕はポ−ル以上に無口になった。「こ
りゃシャレにならない。」ライオンが何時出て来てもおかしくない様な景色だ。

バオバブの木の下で休憩したが、最初は緊張して気が休まらない。ポ−ルは僕よりは落ち着いているが
、同様に気が休まらない様子。休憩中も2人は殆ど無口。 バオバブの木に両手を当てて、「どうか無事
に通過出来ます様に。」と祈る。

そしてもう一つの大きな変化、結局これが最後まで一番の難問だったのが、ハエの登場。その名は「ツ
エツエバエ」名前には聞き覚えがあったが、実際どんなハエかは知らなかった。日本のアブに似て、長
く伸びた口で肌を刺して来る。これが痛い。然も常に20匹位が前、後ろと飛び交う。どうやら汗に引
きつけられるらしく、Tシャツの上からでも刺して来る。湿気と直射日光で気温はかなり高かったが、
肌を守る為に綿の長ズボン、半袖Tシャツの上に長袖Tシャツを着た。益々暑い。リュックの隙間から
時折背中も刺して来る。肌が露出している首、顔面 は常に2ー3匹が隙あらば群がって来る。これには
2人とも閉口。

発見した事は、彼等はリュックにしがみ付き、時折前面に飛び、襲って来る。なかなか賢い生き物だ。
ライオンテリトリ−を汗だくでツエツエバエに囲まれながら歩く。これは間違いなく今迄で一番の難関
。車の量は驚く程少なかった。真っ直ぐに続く道路の真ん中を「痛っ痛っ、コンニャロ。」と言いなが
ら(ポ−ルは 勿論英語で)2人で歩き続ける。

不思議なもので、人間の環境適応能力は素早い。「ライオンテリトリ−を歩いている。」という緊張感
が解れて来ると、心地良い 充実感がみなぎって来た。「命懸けで歩いている。」という思いがエネルギ
−となる。今迄で一番真剣に歩く事に集中していた。2人共歩くペ−スが上がって来る。景色を楽しむ
余裕も出て来た。

このメインロ−ドでは常にハラレからの距離が縁石に1−2km毎に表示してあるが、ここ数キロその
表示が無い。自分達が どの位の距離を歩いたのか2人共分からなかった。と、突如縁石が現れる。「3
24km」2人共歓声を上げる。平原を降りて来てから10km以上歩いた事になる。思っていたより
もうんと距離を稼いでいる。真剣に歩いたから何時もより時間が短く感じたのだろう。と、今これを書
きながら考えるのは幕末の志士、戦国時代の武将、宮本武蔵のような剣士。彼等は365日、この緊張
感の中で人生を過ごしたのだろうという事。ほんの一時ではあったが、あの時感じた充足感は 僕の大事
な宝物だ。

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2008-03-06

ワイルドナイト (本出版に向けて・その49)

ワイルドナイト (本出版に向けて・その49)
「優れた能力も機会なくしてはとるに足らない。」
ナポレオン:フランスの軍人、皇帝

今日の言葉

我が家の日めくりカレンダーより。

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(ジンバブエを歩いていた時の日記から)

2003年8月28日

お昼前にMarangolaの国立公園オフィスに到着。万が一の時に備えて国立公園のサポ−トをお願いした。
何しろこれからザンビアの国境まではライオンテリトリ−を歩く。今迄何人ものジンバブエの人達に「
あそこは危ないから歩かない方が良い。」と言われていたエリアだ。だが、国立公園の対応は思わしく
なかった。

国立公園のマネ−ジャ−は「書面での指示を上から貰っていない。」という理由でサポ−トを拒否。9
月1日の国境でのセレモニ−の確認の為にハラレの観光庁への電話を依頼したが、それも断られた。国
立公園は環境観光庁の管理下なので、ここまで辿り着けばサポ−トは安心と見ていたが、見当違い。対
応は冷たかった。それでも辛うじて一泊の宿を提供してもらった事に感謝。

ここマランゴラ(Marongola)からザンビアとの国境のチュルンドゥ(Chirundu)迄後わずか48km。
今晩の一泊の宿として提供してもらった場所は国立公園の事務所下にある上水タンク管理室。そこを間
借りしてコンクリ−トの床に寝袋で寝ることになった。普段であれば野宿するのだが、何しろここはラ
イオンテリトリー。夕方以降は外に居るのは危険だ。なんとか寝場所を確保、空腹感に襲われたが、こ
の上水タンクを管理しているジョンがくれたインパラの干し肉で元気を得た。本当に有り難かった。ポ
−ルが今朝、道沿いに大きなレンチが落ちているのを発見。ジョンにそのレンチを渡し、お返しにイン
パラの干し肉をもらった。

ポ−ルは今回の一件で心底疲れ果てた様子。僕も流石にマネ−ジャ−の対応には度肝を抜かれた。自分
のボスに電話をしたいと頼む御客を厄介物の様に扱う様子を見て、正直この国を早く脱出したい気分に
なった。ジョンを始め、普通の人々はとても温かい。ある一部のマネ−ジャ−クラスの人達が時折そん
な気持ちに僕等をさせる。

ジョンからもらったインパラの乾し肉、そしてNyamakatiで買ったパンも食べてしまい、夕方お腹が空い
てきた。だけど僕達には食料が無い。2人の持ち金は約3500Z$。US2$にも足らない。(ジンバブエでは
銀行のカードが使えず、手持ちの現金が無くなった。)何とか気分を高めたいが、後一週間と一寸、こ
れでどうやって生き延びるかを考えると、2人共力が湧いてこない。

意を決して国立公園のスタッフ、その家族が住む集落を訪ねてみる。そこはフェンスで囲まれている。
ライオンテリトリーなので、暗くなってからフェンスの外を歩き周るのは危険だ。上水タンク管理室か
ら徒歩5分程のその集落を早歩きで目指す。

パンが買えると聞いていたので、敷地内で出会った子供達に案内してもらい、食堂を目指す。突然のア
ジア人の訪問に人々があれやこれやと質問してくる。大分慣れてきたが、空腹も手伝い、我ながら僕の
対応は冷たかった。パンを一斤買い終えると、「ミリミ−ル(サザの原料で、トウモロコシの粉)をあ
げるから家に来い。」と元気の良い男が言ってくれた。彼の名前はナズバット。明日はアメリカ人客を
連れて狩りに出るらしい。

彼の家に入ると、床には動物の大きな肉の塊が置いてある。何の肉だろう。居間に通されて、彼のお父
さんとその友達と僕の3人で10分程対話をした。ポ−ルと一緒にジンバブエ を歩いて植樹をしている
事を簡単に説明すると、「そうか。そうか。」と興味深く聞いてくれた。ナズバッドは3−4日分のミ
リミ−ルの他に、床に置いてあった大きな肉片を切り、2kgはある肉片をくれた。インパラの肉だそ
うだ。「食べた事あるか?」「初めてだ。」と答えた。「助かった−。」と思う。お礼に 2000Z$を渡す
。これで持ち金はほぼ無くなったが、向こう2−3日分の食料を得た。後は何とかなるだろう。

今晩は久々に楽しい夜だった。上水タンク管理室の外で火を炊き、茶を沸かす。火を焚いているので動
物に襲われる心配は無い。

サザを作るのは初めてで、出来上がりはサザと程遠い物だったが、この時点では腹に入るものがあれば
何でも良かった。インパラの肉は硬かったが、味が在り美味しかった。満点の星空の下、2人共元気を
取り戻し、久々に遅く迄火を楽しみ、話を楽しんだ。

ポ−ルがアイスランドで体験したビジョンの話を再度詳しく聞く事が出来た。ポ−ルの活動の原点とも
言える体験。大枠を聞いていたが、詳細が気になっていた。近くの水場(ダム)からは色々な動物達の
うめき声が夜通し聴こえた。残念ながら暗くて見る事が出来なかったが、象とそれ以外の獣声が交じり
合っていた。

(写真はサイトから転用)

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ジンバブエ、初めての民泊 (本出版に向けて・その48)

ジンバブエ、初めての民泊 (本出版に向けて・その48)
「もし好機が到来しなかったならば自ら好機を創り出せ。」
スマイルズ:イギリスの著述家

今日の言葉

我が家の日めくりカレンダーより。

今日は啓蟄(けいちつ)。冬眠していた虫が目を覚まして地上に這い出してくる時期だそうです。

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(ジンバブエをポールと歩いていた時の日記です。)


2003年8月26日

Elephant Walk Motelの敷地内で野宿した後、ブティ(Vuti)を目指した。VutiにはCounceller Chairm
anが住んでいる。Councellerとは寄り合いの長で、僕等が今歩いているHurungwe Province(日本の県の
様なもの。ジンバブエには9つのProvinceが存在する。)には17人のCouncellerが居て、Chairman と
はその17人のCouncellerの代表者という事になる。メインロ−ドを歩き、Vutiに到着したが、町の様
なものは見当たらない。バス待ちをしている人達にChairmanを訪ねたいと言ったら、その内の一人、マ
タビレ氏が案内してくれる事になった。

メインロ−ドから外れ、細い歩道を10分程歩く。丘の向こうに集落が見えて来た。それがVutiらしい
。低い山の中に点在する村といった感じ。 そして隣の丘の上にChairmanの家があった。メインロ−ドか
ら20分程歩いて到着。流石Chairman。大地主といった感じで、家の横には煙草製造の建物(レンガ造
り、中は見ていないので詳細不明。)、トラクタ−が2台程。大きな庭には小さな家が2−3軒点在し
ている。予想するに、第二、第三妻の家では無かろうか。実際、1時間弱の対面中、3人の女性を見た
と思う。年齢は40代、30代、20代の3人といった感じ。一人は娘かも知れないが、今となっては
確認出来ない。彼は過去10年間Chairmanを務め、去年再選。後4年はChairmanを務めるという大ベテ
ラン。40代半ば位の人柄の良さそうな人だった。ポールとChairmanが会話している間(僕等3人は庭
の椅子に座っている。昼の日差しがきつかった。案内してくれたマタビレ氏は一寸距離を置いて、石か
何かに腰掛けて居る。)、Chairmanの後ろに見える、ドラム缶二つがスト−ブの様に四角い枠に入った
不思議な物体が気になっていた。湯沸かし器だろうか。煙突が付いている。

そこへ第一妻の様な年長の女性が子供と共に現れ、その物体に手を差し入れ何か作業している。と、中
から干し肉が出て来た。干し肉製造器だ。干し肉は南アフリカ、ジンバブエではビルトンと言われてい
る。その装置は干し肉を作る為の物らしい。う−ん。気になる。見たい。中が見たい。出来れば味見も
したい。こちらに持って来てくれないだろうか。密かに期待したが、それが実現する事無く、ポ−ルと
僕はChairmanの家を後にした。ポ−ルに、「あの干し肉作る装置見た?」と聞いた。ポ−ルはChairman
との会話に集中している為、それどころでは無い。「何だそんな物あったの?見せて貰えば良かったの
に。」その通り。変な所で遠慮してしまう。やっぱり僕は日本人だななんて思い、トボトボ歩く。2人
共、昨日から余り食べてないので、Chairmanの家で昼飯にありつけるかと(僕は)期待したが、オレン
ジジュ−スのみだった。一寸図々しいか。そこまで期待するのは。

Chairmanが経営するショップ(簡単な食料、ビ−ル等が売っている。さっき家に居た若妻or娘が店番を
して居た。)に行くと、ポ−ルの話 に感銘を受けた人達が僕等にビ−ルを2本づつ買ってくれた。無け
無しの金で購入した、普通のポテトチップスの2倍位大きな袋に入っているスナック菓子をポリポリ、
ビ−ルを飲みながら、その人達と話す。とても楽しい一時だった。「結婚しなきゃいかんよ。お父さん
とお母さんが結婚してなきゃ君は存在してないんだから。歩くのも大事だけど家族も大事。」と年配の
紳士が僕にアドバイスをくれた。ほろ酔いになりながら、「確かにその通りだ。」と思った。

その日はブティVutiの学校で一泊する事になっていたが、好意で頂いたビ−ルで思わぬパワ−を得て、
次の村ニャマカティ(Nyamakati)迄更に歩く事にした。途中、夕日がとても綺麗だった。いよいよ国立
公園が近い。動物達のテリトリ−に入る。夕日が沈み、暗くなった頃、ニャマカティに到着。2人共ヘ
トヘト。この日は一日中歩いた。この村唯一らしいお店の前で、区長Councellerに連絡を取りに行った
警察(私服だった)を待ったが、なかなか来ない。 やがて村の小学校の先生が話し掛けて来て、彼が僕
等の面倒を見てくれる事になった。何とも有り難い。聞けば、昼間会ったCounceller Chairmanは彼の甥
っ子だと言う。しかしどう見てもこの先生(サイモン)のほうがChairmanよりも年下だ。という事はこ
の先生のお姉さん (Chairmanのお母さん)は相当年上という事になる。ジンバブエの家族構成は時に複
雑な様だ。

暗い夜道を15分程あるいて、先生の家に辿り着いた。小学校の直ぐ横だった。先生と小学校迄一緒に
歩いて僕達をエスコートしてくれて、その後隣の村迄帰って行った老紳士は昔、小学校でキリスト教の
先生をしていたと言う。今は農業に専念しているという礼儀正しい人だった。

先生の家に入ると電気は無く、ろうそくの灯が灯っていて、奥さん、 娘さん(1歳2ヶ月)、お手伝い
さん(12−3歳の女の子)が居た。6−7畳間に食事用のテ−ブル、ソフャ−が置いてあり、空き空
間は殆ど無い。甥っ子の Counceller Chairmanに電話をしてくれた。一昔前の、配電線の詰まった壁に
掛けてある箱の中のスイッチを入れた後、受話器を取って電話している。ろうそくの灯かりも手伝って
、何だか第二次大戦中のどこかの国にタイムトリップしている様な気分になる。

よく考えると、ジンバブエに来て初めて人の家に泊めさせて頂いた。奥さんとお手伝いさんは僕等の為
にじゃがいものソテ−、緑野菜の炒めものを作ってくれた。量は少なかったが、とても美味しかった。
やっぱり女性の手料理は一番。昨日からパン以外、ろくな物を食べていなかったので特に美味しく感じ
た。奥さんも小学校の先生で、この小学校では11教科を教えているらしい。その中にはエイズの知識
を教える時間もあるという。やっぱりアフリカではエイズ は相当深刻な問題であると再認識。

先生はポ−ルの話を聞くうちに、一緒に旅に出たくなった様子。奥さんと1歳2ヶ月の子供を家に残し
て本当に一緒に来るのだろうか。奥さんは冗談半分に「私の夫を取り上げるの?」と僕等に言った。そ
の夜、寝室から2人が話し合っているのが聞こえた。半分口論の様にも聞こえた。

夜明け前に起き、村を散歩してみる。遠くから太鼓のリズムが聞こえる。きっと夜通し叩いていたのだ
ろう。耳に心地良い。山際から綺麗な朝日が昇ぼる。

家の外に椅子を置き、先生、ポ−ル、僕の3人で話をする。日曜の朝9時位。奥さんが朝飯を作ってく
れた。半分に切ったじゃがいものフライ、大豆の粉で作ったケ−キ。ケ−キはきな粉風味で美味しかっ
た。そしてコ−ヒ−。素晴らしい朝飯。出発する元気が出た。先生はメインロ−ド迄送ってくれた。や
はり一緒に来るのは断念した様子。家を出る時、奥さんは「ジンバブエは情勢良くないから、夫を何時
か英国に招待してあげて。」とポ−ルに言った。

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2008-03-04

ランバイマカシンガ (本出版に向けて・その47)

ランバイマカシンガ (本出版に向けて・その47)
「家はなかに住むために建てるのであって外から見るためではない。」
ベーコン:イギリスの哲学者

今日の言葉

我が家の日めくりカレンダーより。

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(ジンバブエを歩いていた時の日記です。)

2003年8月23日

昨日は朝10時過ぎ、コ−ナ−ストアを出発。ポ−ルは足の指の痛み、僕は膝の痛みを抑えながら歩く
。12km程歩いて、2時間程の休憩をとった。夕日前に又歩き始める。目標はあと12−3km。途
中小さな村の店でパンを購入。なんと1500ジンバブエ$。ハラレに居た頃は500$でも高いと 思
ったがその3倍だ。まあ旅行者という事でボラれたのだろう。とポールは言った。確かにそうらしい。


それにしてもKaroiで会ったオランダ人のジュープによれば、ジンバブエのインフレ率は450%。(ジ
ンバブエ、ヘラルド誌によると、 2002年7月から2003年7月の1年間で400%)僕等がハラ
レに居た頃のヤミ換金レ−トは1US$=2000-2500Z$ それが今や1US$=4000-5000Z$ 。ちょっと信じ難い
。公定の換金レ−トは相変わらず1US$=824Z$。今やヤミレ−トが公定の5倍以上に跳ね上がっている。
一体こんな状態が何時まで続くのだろうか。銀行は圧倒的な紙幣不足に悩んでいる。どの町に行っても
銀行は行列が絶えない。一日5000Z$(今やたったのUS1$)の制限下で、預 金者は必死になって列を
作り、たった5000Z$の為に何時間も待っている。

夜が更けると星空がとても綺麗だった。まだ月は上がって無く、天の川がバッチリ見える。国立公園が
近づいている為、「動物(特にライオン)が突然出て来やしないか。」と少し不安になる。二人共、か
なりヘトヘトになりながら、お役所から聞いていたMotelを目指した。夜9時過ぎ、Elephant Walk Mot
el到着。二人共で合わせて7000Z$しか持って居らず、駄目モトで「金は無いがタダで泊めてくれるか?
」とポ−ルが聞いてくれた。駄目だった。結局 Motelの敷地内に野宿させてもらう事になった。風が強
かったのと、やっぱり万が一動物に襲われる事を避ける為に。Motelはトラック運転手の様な人、ザンビ
アからの国境をバスで超えて来た様な人達10人程で結構賑わっていて、場末な雰囲気が漂っていた。
バ−からはラジオで「いつもの音楽」が大音量で流れている。

2ヶ月前にジンバブエに到着、3日目にポ−ルに合流した。ポ−ルが泊まっていた部屋にテレビがあり、
そこで初めてジンバブエのテレビを観た。驚いた事に、チャンネルは国営の1チャンネルのみだった。
初めて観たのは朝、7時頃のニュ−スだった。(朝6−8時はニュ−ス時間)ニュ−ス自体には特別何
も感じなかったが、コマ−シャルがとても印象的だった。

リズミカルなアフリカ音楽に合わせて農民の様な人達が畑を耕す様なダンスをしている。かと思いきや
、シ−ン は変わり、軍人がライフルを持って踊っている。そして農民、又軍人。やたらと長いコマ−シ
ャルだ。「う−ん、別世界にやって来た。」と思わせるに十分、インパクトのある映像だった。テレビ
を観たのはその後数える程しか機会は無いが、ラジオを通してその後そのリズムを「いや」と言う程聞
く事になる。

その音楽 は「ランバイマカシンガ」英語で言うと「Our land is our prosperity(国土の繁栄)」メッ
セ−ジ自体は何も問題無い。が、1日数十回と聞かされと流石に嫌気がさして来る。1回のコマ−シャ
ルが長い。2分はある。ポ− ルの観察によれば、これが1時間に最低3回は流れる。ラジオもどうやら
国営の1放送局だけらしく、ラジオというラジオからこの「ランバイマカシンガ」が流れる。多分、平
均して1国民1日10回はこの「ランバイマカシンガ」を聞く事になる。2分×10回=20分。長い


新聞は現政権派のヘラルド誌と、反政権派のデイリ−ニュ−ス誌が2大新聞。(それでもヘラルド誌が
圧倒的だった。とうとう今やデイリ−ニュ−ス は廃刊となったらしい。)このデイリ−ニュ−スの漫画
欄に以下の様な漫画があったらしい。(ポ−ルから聞いた。)「新しくラジオ買ったんだけど壊れてる
みたい。」「どうして?」「ランバイマカシンガって曲が流れ続けてるんだよ。」ジンバブエを後10
日程で離れ、ザンビアに入る。果たして後何回この「ランバイマカシンガ」を聞けるだろうか。

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2008-03-03

∞4月12日植林音楽祭@大阪∞

∞4月12日植林音楽祭@大阪∞
4月12日に大阪で開催される「植林音楽祭」の植林トークライブに呼んで頂きました。

これは、4月15日〜20日に行われる「内モンゴル植林ツアー」の10万本の苗木代を捻出するべく企画され
たイベントで、この植林ツアーには今、中国を歩いているポールと木乃実さんも参加します。

http://maketheheaven.com/syokurin4/index.html

4月12日のイベントは、この内モンゴル植林ツアーのゲストでもある、沖縄西表島出身の音楽家、「まー
ちゃんうーぽー」さんが主催されています。

内モンゴル植林ツアーには行けませんが、1本でも多くの苗木がモンゴルに植えられる様に4月12日のイ
ベントを盛り上げたいです。

なんと会場は1580席。

皆様、転送大歓迎ですので、宜しくご協力をお願い致します。

こんなビックなイベント参加は初です。
大丈夫なのか?!「歩いて木を植えるお父さん」。

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第4回『中国内モンゴル・植林ツアー』苗木募金チャリティーコンサート
〜地球に森が生き還る・植林音楽祭〜

『そらの木、こころの木』 

■内容  「植林に行こう」トークライブ&「まーちゃんバンド」ライブ
○4月12日(土)大阪府豊中市・市民会館大ホール(1580席)
(豊中市曽根東町3-7-1 TEL 06-6864-3901 FAX 06-6863-0191)
○12時開場  13時開演〜18時30分終了  19時閉場
○前売:1500円  学生以下:500円  当日:300円UP (幼児&介護者は無料)
<このチケット代金には、苗木募金10本分を(学生以下は3本)含んでいます>

■目的   『地球に緑と笑顔を増やすこと』を目的とします。
   地球温暖化の今、私たちに「出来る事」や「植林」の大切さ考えます。
  また、このイベントの収益金は「内モンゴル植林ツアー」の苗木募金へ寄付します。

■プログラム
●13時〜15時30分   第1部 『植林トークライブ』
 地球やモンゴルの現状を知る、植林ツアーの内容や思いを知る、ぼくたちに出来るエコライフを考え
る。
○松本英揮(環境活動家) ○中渓宏一(歩いて木を植えるお父さん) ○竹炭紹介 ○植林トークラ
イブ
 休憩30分
●16時〜18時30分   第2部 『植林音楽祭』
 子どもからお年寄りまで楽しめる音楽祭
 ○南ぬ風人まーちゃんバンド(風と大地の島唄バンド) ○風人ブドゥリ太鼓(西表島エイサー)

■出展ブース
 植林の活動紹介&募金グッズの販売、地球温暖化の現状、エコライフの提案、
 ワークショップなど、ブースをロビーにて展開
 ○NGO風人ネットワーク(風人の家) ○まーちゃんバンド ○竹炭 ○他多数

■主催:「植林音楽祭」実行委員会
実行委員長:生田夕美子   電話:06-6332-4645 携帯:090-6376-4924
実行委員長:井上さゆり    携帯:080-3111-3582
副実行委員長:有井洋子   携帯090-9289-2480
■共催:NGO風人ネットワーク(風人の家)
  代表:南ぬ風人まーちゃんうーぽー(山下正雄)  携帯090-2388-4916
  電話:06-6889-7730  FAX06-6889-7731   大阪市淀川区西中島南方1-13-13-2F
メールkajipito@painukaji.com  URL http://www.painukaji.com

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バオバブの木の下で (本出版に向けて・その46)

バオバブの木の下で (本出版に向けて・その46)
「一日延ばしは時の盗人である。」
上田敏:明治時代の翻訳家

今日の言葉

我が家の日めくりカレンダーより。

因みに昨日の言葉は

「子供にはすべての最も大きな可能性がある。」

でした。

いやー今日の言葉、一日延ばしにしたら、こんなメッセージが。

昨日は札幌でアースデイ北海道の仲間がインフォーマルというお店で講演会を主催してくれました。楽
しかった!

そして、沖縄でアーストリップという旅行会社をやっている中村圭一郎くんが主催する「日本一」イベ
ントでもお話させて貰い、久方振りの都会でした。我が家に戻ってホッ
と一息。圭一郎くん率いるMagic Journey, 21日間の沖縄まで日本縦断の旅の安全を祈ってます。

http://www.magicjourney.jp/blog/?c=8-

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(ジンバブエを歩いていた時の日記から)

2003年8月22日

9日間滞在したマグンジェを昨日出発、只今229km地点(ハラレからの距離)。

最後の夜はポール、エディー、ジョー、僕の4人でエディー大統領計画についてゲストハウスで話し合
う。ナモが来なかったのが残念だ。この4人ではナモが居た時に比べアイディアが出ない。ポールはエ
ディーに国境迄一緒に歩くことを提案した。僕も同感だった。

ジョーは武力行使で現政権を倒したいと言った。それは危険過ぎる。話の方向が逸れていると感じたの
で、皆でバオバブの木の下で話し合おうと提案した。既に夜中12時近く。バオバブの木に再び集合し
た。(人目を用心してバラバラに集合した。)バオバブは大きな5本の木が集合して巨大な1本の木の
様になっていて、根元は繋がっていて地上1.5m位の高さに盛り上がっていて丁度4人が座れる位の
スペースがあった。

大きなバオバブの木に囲まれて4人は向かい合う様に座った。エディーが大統領になったとして、人々
にどんなスピーチをするか。あまり盛り上がらなかった。はやりこのメンバーでは士気が上がらない。
ナモが必要だ。エディーとジョーは秘密軍を運用したいと言った。正直、とてもびっくりした。秘密軍
?ジンバブエの隠された一面を見た気がした。

エディーは4〜5千人の仲間が居ると言っていたが、それがまさか秘密軍であるとは思わなかった。ポ
ールは武力行使の無意味さを二人に説いた。「兎に角、私と一緒に歩いて私から学びなさい。」巨大な
バオバブの幹に腰掛けてそう言うポールを見て、「この人はでかい。」と思った。

出発の日、エディーは来なかった。置手紙を残した。「カロイからチュルンドゥに向かうメインロード
を歩いているよ。」道路でも逢うことは無かった。途中、遠くに人の姿が見えると「エディーかな?」
と思う。ポールも同様だった。今頃エディー、ナモ、ジョーはどうしているだろうか。ポールと僕にと
って、そして彼等3人にとって、この数日間の話し合いはとても貴重な体験だった。

この経験が3人にとって、何時の日かジンバブエを良い方向に変える原動力になって欲しい。ジンバブエ
に来て初めてジンバブエ人の友達が出来た。

右膝が痛い。マグンジェでは最後の3日間、早朝ナモと一緒に運動した。初日はビ−チサンダルでアス
ファルトの道路を5−6kmジョギングして、膝を痛めた様だ。気を付けよう。膝は大事。

昨日は「コ−ナーストア」という、カロイから15kmの地点で一泊させて貰った。お役所の手配でお
店の人に話が伝わり、一泊出来る事になっていると聞いていたが、実際お店に着くと、お役所からは何
も聞いていないと言う。既に慣れっこだが、流石に呆れる。お役所の女性は朝、ポ−ルと僕を Magunje
からKaroi迄送ってくれた。別れ際、「コ−ナ−ストアには話しとくからね。」と言っていた。

結局お店の人達は非常に快く僕等を泊めてくれて、なんと晩飯、朝飯迄作ってくれた。感謝感激。朝、
隣の家にシャワ−を借りに行く。Resettlement Firmerの家らしく、立派な家の中は空っぽ。家具も何も
無い。つまり白人の元オ−ナ−は追い出され、政府の手配でこれからこの家に黒人が入居して来る。そ
れは元軍人であるか、お役所に媚びを売る小金持ちか何かで、本当に土地が必要な一般市民では無い。
この2ヶ月間で大分ジンバブエの内情が分かって来た。再び歩き始める。美味しい朝飯のお陰で元気一
杯だった。


昨日はカロイで「GOAL」という食料配給のNGOを訪問した。マネージャーのジュープはオランダ人で、1
0日前、カロイに到着して District Administratorを訪問した時に僕等の後にオフィスに入って来たの
が彼だった。GOALはアイルランドのNGOらしく、ジュープの担当は2つの Provinceで、何と23万人の
人達の食料を配給しているらしい。倉庫には食料が積んであった。従業員の一人、ジンバブエ人のビア
ンカちゃんはモデル張りに綺麗だった。彼女は忙しい時は朝5時間半から夜中12時迄働いているとい
う。食糧不足の深刻さが分かる。GOALに到着、最初に話した女性は、「あら、ザンビアから帰って来た
の?」と僕に言った。「人違いでしょう。ここに来たのは初めてですよ。」と僕は言った。話をして分
かった事は、カロイ到着初日、教会で野宿をした時に水を貰いに行った家の女性だった。2−3会話を
交わし、僕はこれから歩いてザンビアに向かうと彼女に話していたのだった。その日から10日間が経ち
、彼女は僕達がもうザンビアまで歩いてから戻って来たのかと思ったようだ。小さな町の小さな偶然。

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2008-03-01

日本は世界の縮図であるという説 (本出版に向けて・その45)

日本は世界の縮図であるという説 (本出版に向けて・その45)
「天は正義の人を守る」
ホメロス:ギリシャの詩人

今日の言葉

我が家の日めくりカレンダーより。

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(ジンバブエを歩いていた時の日記より)

2003年8月20日

政府のゲストハウスにお世話になっているマグンジェのお役所に居るゴンベ氏を訪問。彼は昨日、20
km離れた村で象の退治をビデオで撮っていたそうだ。食料を求めて国立公園から野生の象が畑に侵入
、とうもろこし等を食べてしまうらしい。昨日は他の象達(20匹余り居たそうだ)を追い払う為に一
匹の象を銃で仕留め、村の皆で食べたそうだ。皮と牙は売られ、 間接的に村に還元されるらしい。

ポ−ルがハラレに電話をかける間、ゴンベ氏の部屋の壁に貼ってある世界地図を「ボーッ。」と眺めて
いた。ネパ−ルの日本食レストランで読んだ日本の旅行雑誌の記事の中で、北海道と 北アメリカ大陸、
本州とアジア大陸、九州とアフリカ大陸、四国とオ−ストラリアを其々並べて、形の良く似ている事を
指摘していたが、世界地図を暫く眺めていてそれを実感する。

耶馬台国は九州にあったという説が有力らしい。するとこのアフリカ大陸で何かが始まるのでは無いか
。「アフリカ大陸の統一」'Africa Unite',ボブ マ−リ−も歌っている。

そして鹿児島、薩摩は南アフリカ共和国。ここが重要な拠点になりそうだ。エチオピアのアジスアベバ
にはアフリカ統一の組織(アフリカ連合)が本拠地を置いているらしい。ポ−ルはそこでアフリカ統一
提案のスピ−チをしたいと考えている。又、ケニアのモンバサには国連の環境部門(UNEP)の本部がある
らしく、そこでもスピ−チを考えている。ここ2−3日、意識が高まって来ている。これからの旅が益
々楽しみになってきた。

(補足説明:日本地図が世界地図の縮図だとすると、明治維新によって、藩が統一されて日本国が誕生し
た様に、世界が国境を越えて統一される日が来る筈だと思う。そして「薩長土肥」が明治維新を引っ張
ったことを考えると、鹿児島にあたる南アフリカが世界の統一を引っ張って行く一つの大事な国なんじ
ゃないか。そんなことを考えていた。)

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もし僕が大統領になったら

もし僕が大統領になったら
「人が天から心を授かっているのは愛するためである。」
ポワロー:フランスの詩人

さすがフランス人。このこのー。

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2003年8月19日

カトリック教会敷地内で、役所のCEOと共に植樹セレモニ−を行った。レモンの木、オレンジの木、マン
ゴの木、パパイヤの木が植えられた。チノイ以来の久々の植樹。やっぱりとても気持ち良い。この教会
では色々な薬草が育てられている。Worm Wortはマラリアを予防するという事で一寸かじってみたが、え
らく苦い。正に良薬は口に苦し。教会の責任者Herbert氏にRustler's(南アフリカで僕が3ヶ月キャン
プしていた所)の連絡先を伝える。Rustler'sではエイズに効く薬草の研究がされていて、この教会の貴
重な情報源になる 筈。

日曜日以来、ポール、エディ、ナモと僕の4人で活発な意見を交わしている。テーマは「ジンバブエの
再建」。話は急展開を見せ、エディーが新大統領に立候補するという所まで来た。実現すれば、これは
ジンバブエ国の大革命で世界のニュースになる。

日曜日の夜は4人が意気投合して、今迄人生で体験したことの無い場の盛り上がりを感じた。この4人
でジンバブエを変えられるかもしれない。4人共が真剣にそう思った。昨日の夜はエディが友達を連れ
て来て5人で話したが、5人目の存在が気になり、ポールも僕もあまり積極的では無かった。バランス
は大事だ。出来れば又、元の4人で話したい。

(当時を振り返っての補足説明:エディとは政府のゲストハウスで出逢った。まだ20代半ばで、綿花の
会社の仕事でゲストハウスに泊まっていた。ポールと中庭でチェスをしたのが出逢いの始まり。チェス
に強いポールと接戦。(結果は覚えていない。)それから仲良くなり、ひょんなことから話は急展開を
見せ、エディの大統領話になった。皆本気だった。ナモはエディーの右腕的存在だった。ザンビア人で
とてもしっかりしていた。エディは御曹司で人を惹きつける魅力があった。そのコンビが絶妙で、「彼
等なら出来るかもしれない。」という雰囲気があった。)

もしジンバブエに新しい大統領が現れるとしたら、人々にどんなスピ−チをするだろうか。

「私が大統領になったら、新しい価値観で国を運営します。自然環境保護を国の最重要事項とします。
森林の再生を計ります。そして他の国がそれに習い、最終的にはアフリカ大陸の、地球の最重要事項が
自然の環境保護になります。ジンバブエが世界の価値観を変えるのです。現在、国の価値を計る方法と
して一般的にGDPが使われますが、それに代わり、自然保護、再生率という新しい数値が国の価値を表わ
す様になります。経済活動から発生する利益の一部は常に自然保護、再生に充てられます。農業は単一
栽培を廃止、多品種栽培(パ−マカルチャ−)を全国規模で導入します。煙草産業の縮小、はちみつ産
業の拡大を図ります。経済、科学、芸術、宗教の4部門をバランス良く育成する事により、国力の充実
を図ります。早起きを促進します。女性の社会地位向上を図ります。古代の習慣に近代の技術を加え、
物事にあたります。」

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