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2008-02-19

世界放浪の旅、南アフリカ ”太古の聖地” (本出版に向けて・その34)

世界放浪の旅、南アフリカ ”太古の聖地” (本出版に向けて・その34)
「あらゆる人を褒める人は誰をも褒めてないのである。」
ポズウェル:イギリスの伝記作家

今日の言葉

我が家の日めくりカレンダーより。

因みに僕は褒められて延びるタイプです。

関係無いか。

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僕は映画「エンドレスサマー」にも出てくるサーフィンのメッカ、ジェフリーズベイを目指した。

ジェフリーズベイの波はこれ以上無い位に綺麗な波だった。一本の波の横幅が2−300ある。巨大な
湾にゆっくりとインド洋の波が入ってくる。「スーパーチューブ」と言われるジェフリーズベイの波は
文字通り、波がチューブの様にうねっている。

ブラジルのイタカレで波乗りをしていた頃の感覚を思い出しつつ波を掴まえる。波に力がある。小さな
波でも十分楽しめる。ビーチを見下ろすバックパッカー(安宿)に数日間滞在した。そこには主にヨー
ロッパの波乗りフリークが集まっていた。

これから世界一周のサーフトリップに行くなんていう、文字通りエンドレスサマーの様な旅をしている
人も居た。僕も何時かそんな旅をしてみたいものだ。

宿で仲良くなった仲間と海に入る。上手い人は何時の間にかデカ波が来るタイミングで「スッ」と前に
出て、颯爽と波に乗って来る。イタカレでもそうだったが、どうやって波を読むのか感心してしまう。


僕はそれなりの波を掴まえる。なんと波の中にイルカが泳いでいるのが見えた。宿の仲間に連れて行っ
てもらい岩場のポイントに行ったり、近くの沢で崖から沢に飛び込む度胸試しをしたり、楽しい時間が
過ぎた。何時かどっぷり波乗りに浸る旅をしようと心に決めてジェフリーズベイを後にした。

ジェフリーズベイからイースターのお祭りのタイミングでラスラーズに戻った。第二の故郷と言っても
言い過ぎで無い位に、ラスラーズに戻るとホッとした。僕は何時しかレストランのバーカウンターに立
つ様になった。イースターにはヨハネスブルグからのお客さんが沢山来る。カウンターに立ち、そんな
お客さんとあれこれ話すのが楽しかった。

そして、イースターの後、ずっと気になっていたサンゴマバレーに行く機会があった。
サンゴマとは英語では“Witch Docter”、日本語では「呪術医」となる。自然の薬草を使ったり、呪術
を使って病気を治す人達のことで、ラスラーズの山向こうのサンゴマバレーはその名の通りサンゴマの
居住区なのだが許可無く入ることは出来ない場所だった。

ラスラーズの植物博士のデールはサンゴマバレーの管理人の様な存在で、彼の許可無くそこを訪れるこ
とは出来なかった。在る日、デールが誘ってくれて、レストランチーフのマーテルと3人でサンゴマバ
レーに行くことになった。行く前にデールが言った。「サンゴマバレーに行ったことはやたらと人に話
してはいけないよ。」
「分かったよ。」と僕は答えた。

ラスラーズの向かいの山の向こう側。というと近い感じがするが、車で20分程かかった。向かいの山
を迂回する様な感じでサンゴマバレー(サンゴマ谷)に入る。

目の前に信じられない光景があった。

山の岩肌が一部、鶏の卵を横に置いた様に隆起している。それは本当に巨大な卵の様に見える。そして
その岩肌に水が流れていた。僕達が行ったのは夕方3時頃で、西日がちょうど卵を照らしていた為、水
で滴る卵(の様な岩)が輝いて見える。

僕は車の後部座席の窓から声も出せずにその風景を眺めていた。その時感じたこと。正直に書いてみる
。地球のクリトリスを見てしまった感じがした。サンゴマバレーは地球の子宮にあたる場所で、ひっそ
りとその姿を山の間に隠しているんだと感じた。

そして、卵が光る岩肌の隣の山はスターウォーズに出てくる三角形の巨大な宇宙船の様な形をしていて
、コックピットに当たる部分が見事にピラミッドの形をしていた。そしてその奥には山というよりは、
カーテンが波打っているような形の巨大な赤岩がそびえていた。哲君と洋平君と3人でラスラーズにテ
ントを張っていた時、僕達は何時もそのカーテンの様な山の上の一部だけを山向こうに眺めることが出
来て、どんな形なのか不思議に思っていたが、まさかそんなカーテンの様な姿は想像出来なかった。

文字通り僕は「言葉にならない」状況だった。そして車を降りてゲートを抜けていよいよサンゴマバレ
ーの居住区に入る。ゲートに入って最初に目に入ったのは顔をスダレの様なもので隠している人達だっ
た。スダレを通してこちらをじっと見ている。後で説明を聞いて分かったのは、サンゴマバレーはサン
ゴマを養成する学校の役割を果たしていて、その学校に入ったばかりの若いサンゴマ達は顔をスダレで
隠すそうだ。

緩い坂を登り谷の奥地を目指す。今度は巨大な崖の真ん中が大きくひび割れていて、その中が家になっ
ている場所があった。中から人がこちらを見ている気配があるが、こちらからは中は真っ暗で何も見え
ない。また暫く行くと今度は巨石同士がこれまた有り得ないような角度でバランスを取って重なり合っ
ていて、その中に人が住んでいる場所があった。

やっぱり中は見えない。サンゴマバレーはそんな自然が創り出す家がそこかしこにあった。始め人間ギ
ャートルズ、或いはフリンストーンの世界だ。

谷を上がって行くに連れて洞窟の数が増えて、人の姿が見え始める。

そして一番奥にはサンゴマのビックママ、モニカの家があった。家の中には岩が隆起した祭壇があった
。というか、岩が隆起した部分を囲う様にモニカの家が作ってあった。ちょっとインドを思い出す雰囲
気だった。

モニカとデールが短い会話を交わして、僕達はサンゴマバレーを後にした。

ラスラーズに来てから5ヶ月が経ち、初めて訪れたサンゴマバレー。衝撃だった。「僕は百聞は一見に
如かず」という言葉を思い浮かべていた。サンゴマバレーは言葉では伝えきれない場所だった。

イースターの後はドラケンスバーグ山脈(龍の山脈)の麓で行われた野外音楽フェスティバルのティピ
(北米インディアンのテントの様な家)設営を手伝いに行き、そこで知り合った仲間と1ヶ月程共同生
活をした。僕は仲間の一人が借りている家の庭でテントを張って生活した。他の仲間はキャンピングカ
ーで生活していたり、空き部屋を使ったりして食事は皆でする。

彼らは皆ヨーロッパ系のアフリカ人、つまり白人で、アフリカーナーと言うらしい。でも実際そんな言
葉は聞いたこと無かった。ラスラーズの仲間、ラスラーズに来るお客も皆白人だった。その辺は凄くは
っきりしていて、白人と黒人の生活スタイル、居住区は違う。アパルトヘイトの名残かと言えばそうな
のかもしれないが、僕は正直そこにそんなに違和感を感じなかった。ラスラーズの黒人スタッフとも仲
良くなったが、彼らは夜仕事が終わると近くの村に帰る。生活の場が違う。それはいい意味で上手く住
み分けがされている様に感じた。

共同生活している仲間の一人、ペルー人のカルロスは石のアクセサリーを道売りしながらもう長いこと
南アフリカに住んでいた。彼が面白い話を教えてくれた。彼のお父さんは敬虔なクリスチャンで、カル
ロスはお父さんと一緒にイギリスに行き、12世紀の書物を教授から見せてもらったそうだ。その書物
によると、キリストには実は、12使徒の男性達に加えて、13人の女性使徒が居たそうだ。

その昔、男性が女性に対して社会的に優位な地位を築く為に、その13人の女性使徒の事実は抹消され
、それに関係する文献は全て焼かれたという話だった。一年は13ヶ月だったそうだが、12ヶ月とな
り、「13日の金曜日」にもある通り、数字の13を忌み嫌う風習が出来上がったという話だった。

ヨーロッパが太陰暦から太陽暦に変わった史実とカルロスの話がどう結びつくかは分からないが、有り
得る話だ。僕はその話を聞いて以来、13という数字が好きになった。

僕は毎朝近くの山道を裸足で散歩した。これからアースウォーカーとジンバブエを歩く為のウォーミン
グアップのつもりだった。

これまた気の合う仲間との共同生活が楽しく、うっかりそのまま長居してしまいそうだった。アースウ
ォーカーはもうジンバブエに入っている頃だ。出発時期を考えていた。その頃、丁度テレビではジンバ
ブエの首都ハラレでの暴動の様子がニュースで流れていた。

ジンバブエはムガビ大統領の独裁政権下にある為に欧米諸国がジンバブエに経済制裁を与えることによ
り石油や食料不足が起こり、それが暴動に繋がっていた様だった。

南アフリカの人には「俺なら今ジンバブエには行かないよ。」と別々の二人から言われた。正直ちょっ
と尻込みした。そうか、ジンバブエはそんなに危ない状態なのか。

どのタイミングでジンバブエに入るか、僕は何か節目を探した。そうだ。冬至の日だ。6月21日(南
半球なので)。この日にジンバブエに入ろう。決心がついた。
楽しかった共同生活の場を離れて、僕はラスラーズに一旦戻った。もう暫くラスラーズに来ることも無
いだろうと思ったからだ。

ラスラーズに着くと、僕は最後にもう一度サンゴマバレーに行った。今度は一人で、歩いて山を越えて
サンゴマバレーに入った。早朝にラスラーズを出て、サンゴマバレーに着いたのは夕方だった。洞窟の
部屋で泊めさせて貰い、次の日の朝、モニカの側近の様な女性二人にお清めをしてもらってラスラーズ
に戻った。

僕はその頃、ファイヤーポイを持っていた。チェーンの先に不燃布の塊が付いていて、それに火を付け
て回す。レストランの外でやっていたら食事をしていたお客に、ヨハネスブルグの家で誕生日バーティ
ーをやるからそこで火廻しをしてくれないかと頼まれて、そのタイミングでラスラーズを出発すること
にした。

地元鎌倉に次ぐ、第二の故郷ラスラーズバレー。ずっと視界から消えるまで車の後ろの窓からその姿を
眺めていた。ラスラーズバレーは大きな船のような形をした岩山の麓にある。遠くから眺めていると、
その岩山が地面から「ゴゴゴゴゴーッ」と宇宙船になって空に向かって飛んで行く姿が思い
浮かんだ。「太古の聖地」何時からか僕はラスラーズバレーを勝手にそう呼んでいる。

誕生日に火廻しをした家は、映画に出てきそうな豪邸だった。お店と変わらないバー、サウナ、シガー
ルーム、映画ルーム、勿論庭にはプール。新築で、全て買ったばかりの家具。正直、家具や絵に統一性
が無くて、いかにも大金を積んで即席で作った豪邸だった。流石、鉱石の宝庫南アフリカ。お金持ちの
スケールが違った。

誕生日の主は未だ30代後半位の男性で、真っ赤なポルシェに乗っていた。僕が助手席に乗ると、自慢
したかったのだろう。住宅街の真っ直ぐに延びる坂道を頂上に向かって爆走した。シートに体が押し付
けられる。やれやれ。子供の様に嬉しそうに笑っていた。

そしていよいよ夏至まで数日となり、僕はジンバブエを目指して北上した。

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