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2007-12-31

皆様、良いお年を!

皆様、良いお年を!
皆様、今年はお世話になりました。来年も益々宜しくお願い致します。

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2007-12-29

2000年夏、世界放浪の旅をスタート(本出版に向けて・その6)

2000年夏、世界放浪の旅をスタート(本出版に向けて・その6)
僕はその頃、兎に角色んな人に出逢ってみたかった。色んな人に出逢って、自分の人間の幅を広げたか
った。

そして、8月上旬、僕は世田谷ハウスのグリンが青森の友人を「ねぶた祭り」のタイミングで訪れると
聞き、一緒に行くことにした。

僕はそれまで、日本の「夏祭り」を本格的に体験したことが無かった。地元の鎌倉で、特に僕が育った
地域は夏祭りというと、小学校の校庭に出店が出て、盆踊りのやぐらが真ん中にある位のもので、大し
た盛り上がりは無かった。

だから、ねぶた祭りはとても刺激的だった。町をあげての年に一度のめでたい祭り。「ラッセーラー、
ラッセーラー」と老いも若きも跳ねまくる。僕もいつのまにか、短パン一丁で地元の若者達と一緒に跳
ねまくっていた。青森というと、正直なんとなく暗いイメージを持っていたが、ねぶた祭りに参加して
、そのイメージが一掃された。
「なんとラテンな人達なんだろう。」

青森では、恐山に行ったり、大間岬で泳いだり(流れが急で危なかった)して、夏を満喫して世田谷ハ
ウスに戻った。ねぶた祭りで勢い付いた僕は、そのまま直ぐに荷物を纏めて、バイクで長野を目指した

目指した先は「いのちの祭り」だった。

「いのちの祭り」のことは、春から何度か耳にして気になっていた。一体どんな祭りなんだろう。なん
となく分かっていたことは、その祭りがもともと、原発建設反対運動から始まったということ位だった
。僕は、祭りの主旨よりも、「いのちの祭り」という名前に魅かれて、とにかく会場を目指してみるこ
とにした。

当時乗っていたのはホンダのMAGNAという250ccのバイクだった。社会人2年目のゴールデンウィー
クを使って、合宿免許で中型免許を取り、ハーレーに憧れて直ぐに購入した、なんちゃってハーレー、
銀色のMAGNA。エンジン音はやっぱり本物には全く敵わず、かわいい音だったが、見た目的には結構気に
入っていた。

三軒茶屋の世田谷ハウスから渋谷のIQ3には、いつも功と二人乗りでこのバイクで出社していた。

でも、遠出をしたことが無かったので、長野までMAGNAを走らせるのは、それだけで新鮮な体験だった。
中央道を軽快に走り抜けた。

2000年のいのちの祭り、会場は長野県槍ヶ岳の麓のキャンプ場。期間は一週間。僕は最後の3日間
に参加した。会場付近では、入場待ちの車が列を作っていた。想像していた以上に沢山の人が集まって
いる。

車のナンバーを見ると、鹿児島だったり、和歌山だったり、新潟だったり、日本中から集まっている感
じだ。会場に入り、辺りを見回す。会場はスキー場だったので、皆、山のあちこちにテントを張ってい
る。今まで余り出逢ったことの無い、ヒッピー的な人達が沢山居た。何しろ、ドレッド率が高い。日本
には、まだまだ自分が知らない世界が沢山あるんだとひしひしと感じた。

印象的だったのは、金森太郎君が2年の旅の末に完成させたドキュメンタリー「チベット・チベット」だ
った。上映場所が小高い山の頂上のリフト降り場で雰囲気も素晴らしく、2回観に行った。この映画を観
て初めて、チベットで何が起こっているかを知った。自身が在日韓国人で、旅に出て「移民」に興味が
湧き、モンゴル人のパオの中でダライラマの写真を見たのがきっかけで、チベットの現状をドキュメン
タリーすることを決意。最後はダライラマにまで謁見して旅を終えた。その間に撮り続けた100時間
の記録を1時間強に凝縮した内容は素晴らしかった。僕は、自分も旅の様子をビデオで撮っておきたい
と、「チベット・チベット」を観て思った。

そしてこの祭りのクライマックスは最終日のレイブだった。

夕方から土砂降りの雨。これは中止かと思いきや、一気に晴れ間が広がって、満天の星空で始まったレ
イブ。昼間は見なかった様な有象無象の連中がそれぞれ 思い思いのコスチュームで登場。夜中に演奏が
始まったABディジリドゥーというオーストラリア人は、電子ドラムを叩きながら、ディジリドゥーを吹
き、おまけに手元操作で電子音リズムを混ぜていた。静かめのリズムからどんどんテンポは激しくなり
、気が付くと皆、泥んこになって踊り狂う。「これがレイブか。」 と納得。なんだかタイムトリップし
て古代の祭りに参加した気分だった。

このレイブ明けの朝風呂で出逢った石川県のポンさんが教えてくれた。「アメリカに“バーニングマン
”って凄い祭りがあって、砂漠で何日間も踊り続けるんだよ。」
それを聞いて、僕は世界放浪の旅のスタートをこのバーニングマンにすることに決めた。

ひょんなことから自由の身になり、旅に出るチャンスを得たが、実際自由になると時間は幾らでもある
と思ってしまい、なかなか踏ん切りが付かなかった。先ずは自分が生まれた国、アメリカに行って見た
い。と漠然と思っていた処だったので、バーニングマンの話に僕の心が反応した。

8月8日、「いのちの祭り」が終わり、僕はもう一泊してから世田谷ハウスに戻った。主催者の人達と
も最後にゆっくり話しが出来て、大満足で会場を後にした。バイクで東京を目指しながら、これで「日
本の夏祭り」を味わったなぁと実感。

8月10日は鎌倉花火大会。これも鎌倉住民一押しの夏イベント。僕は一人で海に行くと、IQ3で秘書を
やっていた遠山さんにバッタリ出逢い、期せずして彼女と彼女の弟さんと3人で花火を見た。後年、彼
女が病死したことを聞いた。鎌倉花火は僕にとって夏一番のイベントだが、2000年以来御縁が無く
、ご無沙汰している。

日本の夏を満喫して世田谷ハウスに戻り、早速バーニングマンをインターネットで調べてみる。8日間位
の祭りらしい。8月27日から9月の3日までやっている。場所はネバダ州の砂漠の様だ。しかし、それ以上
の詳しい場所は何処を見ても良く分からない。

とにかく僕は9月1日のロス行きのチケットを買った。

8月31日、世田谷ハウスの皆が送別会をしてくれた。友達も沢山来てくれた。ここでの生活が本当に楽し
く、旅に出るタイミングを逃しそうだったので、9月1日、学校で言えば新学期みたいなもので、出発に
は丁度良いだろうと考えた。因みに、世田谷ハウスのメンバーは15世紀の大航海時代に一緒に船に乗
り合わせていたメンバーだったそうだ。前世リーディングをする聖龍さんが教えてくれた。僕はその説
明を聞いて納得した。国籍も年齢もバラバラだったけど、一緒に居ると家族の様な安心感があった。

もう一度、「何故旅のスタートがアメリカだったのか?」

旅の始めに自分が生まれた国をちゃんと見てみたい。そして、聞けばインターネット会社の勢いは日本
の比では無いというその現状も見てみたい。そして憧れの地ニューヨークには、ここ世田谷ハウスにも
居候をしていた香港人のローレンスも居るし、姉夫婦も居る。ということで、バーニングマンを機に先
ずはアメリカを旅してみようと決めた。

2000年9月1日、世田谷ハウスのゆきが功ご自慢のSAABのオープンで成田空港まで送ってくれた。未
だ旅に出る実感は無かった。

兎に角荷物は詰め込みまくって、巨大リュック2個分。ノートブックまで入れていた。

そして「いのちの祭り」で観た自主制作映画の「チベット・チベット」に影響を受け、急いで買ったデ
ジタルビデオカメラまであった。

空港が近づくと、なんだか不安にさえなってくる。なにせバーニングマンBurning manが一体何処で行わ
れているのか未だ分かっていないし、9月1日以降はチケット販売終了とも書いてあったしと、不安材料
は幾らでもあった。既に世田谷ハウスが懐かしい気もする。

ロスの空港に着いた。空気が清々しい。空が青い。匂いがアメリカっぽい。「おーー旅が始まった。」
少し興奮した。と、ターミナルを移動している間にビデオカメラを無くした事に気付いた。やれやれ、
この先どうなるのやら。

とにかく会場に一番近い空港、ネバダ州のリノに向かう。僕の思惑では、空港に着けば、バーニングマ
ンに行く人達でごった返している筈だった。
リノに着いたのは夜の8時過ぎ。気が付くと小さなターミナルに残っているのは僕一人。

「まずい落ち着かねば。」

空港から先ずはレンタカー会社を探した。大きな荷物を二つ持ち、僕はトボトボとレンタカー屋を目指
した。リノはカジノタウンで、何処となく場末感が漂う。

レンタカー屋のおばちゃんは70年代の映画に出てきそうなゴージャスな髪型だった。
「バーニングマンに行きたいんだけど、何処でやっているか知っていますか?」
「あんた、あんなクレイジーな集まりにわざわざ日本から一人で来たの?」
とおばちゃんは言った。

奥から旦那さんが出てきた。
「ブラック・ロック・シティーってとこだよ。だいたいこの辺で。」
と旦那さんが指す地図は砂漠の中だ。「よし。」大まかな場所が分かり一先ず安心。


車を借りて、ウォールマートでキャンプ用具を揃えて砂漠を目指す。間も無くオートキャンプ場を見つ
けてテントを張った。無料キャンプ場の様だ。「アメリカは自由だな。」なんて思う。

果たして明日はバーニングマンに辿り着けるのだろうか。日本を出発してもう随分時間が経った気がす
る。旅の一日目が無事終わった。

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2007-12-28

世田谷ハウスの仲間達 (本出版に向けて・その5)

世田谷ハウスの仲間達 (本出版に向けて・その5)
99年の暮れに入居した世田谷ハウスの仲間にもちょっとした入れ替えがあった。

オリジナルのメンバーはパキスタン人のサニー、スペイン人のアルマンド、オーストラリア人で唯一の
女性のアインズリー、アメリカ人のジョン、ゆき、カツ、そして僕の7人。

パントマイムをやっていたオーストラリア人(名前を忘れてしまった。)が出て行き、世田谷ハウスの
一番小さな部屋、103号室には、カナダ人で、プロの囲碁士を目指している人が入ってきた。(これ
また、名前を忘れてしまった。)

彼は2000年で、囲碁のプロを目指すのが丁度10年目で、今年駄目だったらプロになるのを諦める
と言っていた。そして、プロ試験のトーナメント、彼は最後の試合で負けてプロになれなかった。その
後、諦めきれずに結局10年後以降もプロを目指したそうだが、今はどうしているのだろう。

5畳も無い位の小さな部屋にウェイトトレーニングの機材を置いていて、何時も汗だくになって部屋か
ら出てきた姿が印象的だった。彼の部屋は皆が集まるテーブルの真ん前の部屋だったのだが、殆ど食事
を一緒に食べることは無かった。外食していたのだろう。時々、日本人の彼女が遊びに来ていた。

そして、あきらさんが出て行ってしまった。あきらさんは世田谷ハウス最年長だった。40代後半位。
バツイチで、聞けば出身大学が同じで、学部まで一緒だった。

仕事は何をやっていたか思い出せないが、良く、夜は一緒に酒盛りをした。お酒を飲むと、シンセサイ
ザーを弾きながら、歌を唄ってくれた。これがまた、最高にイカシタ昔の唄で、あきらさんは皆の人気
者だった。サニーと仲が良くて、会社から帰ると、良く二人が仲良く居間で談笑しているのを見かけた

あきらさんの会社に何かあったらしく、給料支払いが先延ばしになり、家賃が払えなくなってしまった
。今頃はどうしているだろう。あの唄、もう一度聴きたい。

そして、新しい仲間も加わっていた。3月からは、相棒の功も世田谷ハウスに越して来ていたし、イギ
リスからグリンも仲間に加わった。

グリンとは、新宿のクラブで出逢った。99年12月、金曜日の夜に功と僕は仕事帰りにスーツのまま
新宿のクラブに繰り出した。お姉ちゃんの居るクラブでは無く、踊る方のクラブへ。

そこの客層は結構多国籍な感じだった。その中で、ボーダーのシャツを着て、赤いスカーフを巻いて海
賊みたいに片目に黒い眼帯を当てている叔父さんが居た。どこから見ても映画に出てくる海賊キャラク
ターみたいだ。それがグリンだった。

僕はその余りにも面白そうなその風貌に魅かれて、話し掛けてみた。すると彼はイギリスから旅行で東
京に来ているとのことだった。

数日後の昼間、渋谷のカフェでもう一度グリンにあった。クラブの時の海賊風の格好と変わって、今度
は粋な帽子を被って、英国紳士風な雰囲気だった。「色んなスタイルを持ってて面白い叔父さんだな。
」と思った。

でもやっぱり右目には黒い眼帯をしていた。最初に逢った時に眼帯をしていたのは海賊のスタイルの演
出かと思っていたが、彼は数年前に左目をガンで失って、義眼を入れていた。

聞けば、彼は英国商業会議所や、ブリティッシュ・カウンシル(英国の公的な国際文化交流機関)が共
同で創めようとしているUKNOWというウェブサイトの運営に係わって日本に来るかもしれないということ
だった。

僕も丁度、IQ3への転職を考えていた頃だったので、「僕もウェブの会社に転職しようかと思っていると
ころなんだよ。」という話で盛り上がった。

その後はイギリスに帰ったグリンとメールでやり取りをしていた。2000年3月、グリンが日本に来
ることになり、東京で部屋を探していた。僕はその時丁度空いていた世田谷ハウスの一部屋をグリンに
勧めた。こうして、3月から功とグリンが世田谷ハウスの仲間として加わっていた。

世田谷ハウスの仲間は、無国籍のファミリーだった。週末にはいつも、そして平日も殆ど、居間に集ま
り皆で遅くまで酒盛りをした。元弁当屋の2階建ての家。決して大きく無い家を9部屋に区切ってある
。それぞれの部屋は5−6畳しか無いけど、皆仲が良かったので、それぞれの部屋に自由に行き来する

そうすると、世田谷ハウス一軒そのものが、自分の家の様に思えてくる。皆同じタイミングで入居して
来たということもあるが、たまたま気の合う仲間達が集まったのだろう。本当に皆、仲が良かった。

そして7月、IQ3をクビになって、僕は世田谷ハウスに帰ってきた。僕と功から会社の様子を結構詳しく
聞いていた皆は、僕がクビになったことを聞いても然程驚いていなかった。というか、むしろ喜んでく
れた。「やっと自由になって良かったね。」という感じで。

僕の夏休みが始まった。終わりの無い夏休み。終わりは自分で決める夏休み。

7月19日。小学校の頃、夏休みは7月21日あたりからだった。数日早めに始まった夏休み。何をし
ようか。僕にはプランがあった。それは色んな「夏祭り」に行くことだった。

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2007-12-27

2000年夏、会社をクビになるまで (本出版に向けて)

2000年夏、会社をクビになるまで (本出版に向けて)
観戦二日目、いよいよトップグループがチベットからネパールに入ってくる。僕達は国境で選手達の到
着を待った。

国境沿いの村は、標高が3000m近い谷間に屋根の低い家々が並んでいて、山岳民族の昔ながらの集
落といった雰囲気だった。

国境は大きな川を隔てて作られていて、中国(チベット)に入るには橋を渡っていくことになる。橋の
向こうに「中華人民共和国」と書いてある。

レイドゴロワーズはフランスのアドベンチャーレースで、フランスのMTV(音楽番組)のスタッフがレポ
ートに来ていて、そこには何故かプロのスケートボーダーの青年が一緒に来ていた。
レースを見に来たメディアクルーや、地元のネパール人が見守る中、軽快なMTVのレポーターがフランス
語で何やら盛り上げた後にスケートボーダーの彼が橋でワンメイク(技を見せる)する。

彼はここでワンメイクする為にわざわざ、遥々フランスから来たのかと思うと、なんだかそれが可笑し
くて、その光景が妙にほのぼのとして見えた。

そんなことしている間にいよいよ選手の第一陣が自転車で到着。橋を向こうから渡ってくる。それに併
せてスケートボーダーの彼も向こうから颯爽とスケボーに乗ってやって来る。

僕は生まれて初めて、レース観戦というものをした。待っている時のワクワク感に比べて、実際に選手
達が到着したのを見るのは、以外とあっさりとしたものだなという印象だった。

第一陣の選手達を向かえ終えて、メディアクルー達は皆、バスに乗ってベースキャンプに帰る。

途中、恐らくダム建設用であろう巨大なパイプがあると、バスを止めて、すかさずスケボー君がそこで
ワンメイク。建設現場の人に怒られたりして、やたらとそれが盛り上がった。

そんなハプニングを通して、国際色豊かな仲間達はだんだんと打ち解けていった。

ベースキャンプに戻って暫くして、日本の選手達が到着した。僕はビデオカメラを持って選手達の様子
を見にいった。

そこで初めて、このレースの過酷さを知った。

選手の一人が高山病になっていた。標高5千メートルの山を走りぬけ、一気に標高2千メートルまで降
りてくる。確かに尋常では無い行程だ。その選手は意識が朦朧として、焦点が定まっていなかった。そ
れでも選手達は、半日弱ベースキャンプで休憩して、またレースに復帰した。

このレイドゴロワース第10回ヒマラヤ大会には、14カ国69チームが参加して、ゴールしたのは45チ
ーム。如何に過酷なレースであるかが分かる。因みに、日本チームは2チームとも完走した。

僕はこのレースになんとVIP観戦者として参加していた。そして、二日目の夜、VIP達の夕食会があった
。ベースキャンプから四駆に乗って、夕食会場に招待される。そこは、川の中洲にポツンと立つ、白い
キャンバス地のサーカスみたいな丸いテントだった。

テントの中には、綺麗にテーブルセットがされていて、ネパール人の執事が居た。

料理は決して最高では無かったけど、キャンドルに灯された夕食の雰囲気は、映画で見る、西洋人の贅
沢なアウトドアライフそのものだった。

僕はその中で唯一のアジア人。歳も若い。明らかに場違いな感じだった。でも、皆気さくに話かけてく
れた。皆、フランステレコム(言わばフランスのNTT)の役員だったり、フランス大手のアパレルの社長
だったり、フランスビジネス界の大物が揃っていた。勿論、レイドゴロワース主催の代表もそこに居た

「ふーん、これが西洋風な贅沢なんだな。流石、演出上手いなー。」なかなか刺激的な体験だった。

そして次の日には、標高3千メートルの観戦ポイントまでバスで行き、そこから何と、ヘリコプターで
お洒落な山小屋に連れて行って貰い、VIPメンバーはそこで一泊した。

夜、暖炉の火で暖まりながら、夕食後、皆で話を楽しんだ。どんな話をしていたのかは思い出せないけ
ど、そんな数日間の楽しい演出のお陰で、すっかり皆、仲良くなっていた。

僕はその山小屋で食べたサラダでお腹を壊したが、5日間のアドベンチャーレース観戦は最高の体験に
なった。フランス人は遊びをやるのもとことん、真剣に楽しむんだということが分かった。

そして、僕は選手達をインタビューして気が付いたのが、フランスの選手達の多くが、アドベンチャー
レーサーという職業としてレースに参加しているのでは無く、普段はサラリーマンで、年に一度のイベ
ントとして、1ヶ月程の休暇をとってこのレースに参加しているということが分かった。流石ヨーロッ
パ。ゆとりがある。

他にも驚きの出逢いがあった。標高3千メートルの観戦ポイントでお話をした、カメラマンの山田周生
さんは、世界中を旅するカメラマンで、その日は標高3千メートルで野宿をしたそうだが、荷物はなん
と小さなリュック一つ。寝袋も無かった。持っていたのはNASAが開発したペラペラの保温シートだけだ
った。(因みに山田周生さんは現在、BDFディーゼル車(天ぷら油等の使用済み食用油で走る車)で世界
一周する「バイオディーゼルアドベンチャー」の旅に出ている。)

この5日間の旅を通して、アウトドアスポーツに係わる人達のサバイバル能力に魅せられた。

そして、IQ3に居る間に、もう一つ、忘れられないイベントがあった。

2000年7月、レイドゴロワースを通して出逢ったのり君から連絡があった。

「アメリカ西海岸から、凄い男たちがやって来る。」

2000年夏、当時ロサンジェルス在住だったロングボーダーの桝田琢治氏が自身で創った「Origin o
f Blue」というロングボードドキュメンタリー映画のゲリラ試写会「Typhoon Tour」をする為に1週間
、日本にやって来た。

桝田琢治氏とのり君は高校時代の同級生で、二人ともロサンジェルスの高校に通っていた。

そんな訳で、のり君がこのゲリラツアーのことを教えてくれた。

土曜日、横浜の試写会に行った。1時間の「Origin of Blue」を見る。想像していたサーフィンの映像
と違って、ロングボードのゆったりした映像に、音楽もジブシーキングスやジャズだったりして、全体
的に落ち着いた作品だった。正直、一回目に見た時はそんなに強い印象を受けなかった。

桝田琢治氏を初めて見た。彼も小柄な青年といった感じで、そんなに強い印象は無かった。

そして、その日から僕は徐々に桝田琢治氏のTyphoon Tourに、というか、桝田琢治氏(以降桝田氏)自
身の魅力にのめり込んで行った。

Origin of Blueは、桝田氏を含めた7人程のロングボーダー達が順番に仲間を紹介しあい、各人のそれ
ぞれ特徴のあるライディングシーンが、それぞれのライディングスタイルに合った曲と共に映し出され
た。

オープニングはfat boy slimのRight here, Right now。これは僕の好きな曲だった。

そして、この映画に出てくる仲間がこのTyphoon Tourには全員揃っていたのだが、このメンバー、ロン
グボーダーにはヨダレが出る程のメンバーであることが段々と分かってきた。

ジョエル・テューダーはカリスマで、世界から注目される天才的なロングボーダーだった。まだ20代
前半で繊細な感じがあって、ツアーの最中、試写会に登場しないこともあった。

ハービー・フレッチャーは70年代のこれまたカリスマボーダーで、50代になっても現役で、チョイ
悪おやじ風。ツアーメンバーのムードメーカー的存在だった。

僕はこのメンバーに段々と愛着が湧いてきて、そして、こんな豪華で個性の強いメンバーを纏め上げて
、映画を創った桝田氏に強い興味が湧いてきた。

彼は地元が同じ鎌倉で、同い年だった。その男が、アメリカ西海岸から世界最高峰のロングボーダー達
を連れて試写会にやって来た。試写会の合間にはサーフィンを楽しみ、雑誌や企業との打ち合わせも「
サラっ」とこなす。

僕はどんどんこのTyphoon Tour チームに魅かれてしまい、このツアーをドキュメンタリーにしてみたい
と思い、デジタルビデオカメラでずっとその様子を撮り始めた。桝田氏のドキュメンタリーをIQ3のサイ
トに載せることが出来る筈だと感じた。

月曜日、Typhoon Tour一行は千葉に向かった。千葉に向かう朝、皆は桝田氏の鎌倉市腰越の実家に集ま
っていた。「車が1台足りない。」出発前に桝田氏が言った。僕は鎌倉の実家に帰り、車を借りて桝田
氏の実家に戻った。「ありがとう。」「いえいえ。」

僕は会社そっちのけでこのツアーに同行して、千葉まで車を走らせた。

千葉の海岸で、途中波乗りを楽しんだ。僕も乗らせてもらった。小さな波を何回か捕らえた。

千葉の試写会は、海辺の小さなサーフショップだった。桝田氏がデカ波に乗るシーンでは、地元のサー
ファーから思わずため息が出ていた。「そうだろ、そうだろ。」何時の間にか、僕は主催者の如く、そ
の反応を楽しんでいた。

もうOrigin of Blueを見るのも3回目になった。不思議なことに、この映画は見れば見るほど、洗練さ
れていて格好良く見える。普通は波乗りのビデオは一回見れば十分なのに、この映画は派手さが無い分
、じわじわと格好良さが伝わってくる不思議な魅力があった。

ロングボードに興味が湧いてきた。映画の中では、小さい波でゆったりとしたライディングをする仲間
が居るかと思えば、桝田氏が乗っている波は、15m以上はありそうな、有り得ないサイズのデカ波だ
った。

その日は皆既月食だった。試写会が終わった後、世田谷ハウスで一緒に住んでいる仲間のカツと一緒に
月食を眺めながら、「サーフィン、いいなぁ。デカ波乗りたいなぁ。
」と話した。

火曜日は東京の八重洲で試写会。そこにはカシオの人達が桝田氏と打ち合わせの為に来ていた。

何を隠そう、カシオの大ヒット商品「G Shock」のムーブメントを興したのは桝田氏だそうだ。

彼は[Super X Media]という雑誌を不定期に、しかも書店では無く、知人に配るという方法で出版してい
て、この雑誌が西海岸のサーファー達に支持されていて、この雑誌の中でジョエル・テューダーが「G
Shock」をして波乗りをしている見開きの広告があって、そこからブームに火が付いたそうだ。

この「Super X Media」、のり君曰く、あのベルサーチの寝室にも置いてあったそうだ。
そんな男、桝田氏のツアーに数日間同行して、僕も彼のカリスマ性に魅かれていった。
どれも決して派手では無い、シンプルな試写会。その合間のさりげない取材や打ち合わせ。全てがスム
ーズだった。

そんな魅力にはまり、会社のことなどほぼ忘れていた頃に、マーケティングの木下さんから連絡が入っ
た。

「ケネスが怒っているよ。会社には連絡したの?」

こちらに来て出社しない旨は功に伝えてあったが、上手く伝言されていなかったらしい。

八重洲から渋谷のオフィスに戻り、ケネスの部屋に行った。

「中渓さん、これで無断欠勤が3回目になるので、残念だけど約束通りあなたを解雇します。」

僕は2000年7月18日、ケネス会長にIQ3解雇を言い渡された。

「クビ。自分が?」

転職自体が予期せぬ出来事だったが、「クビ」は更に予期せぬ出来事だった。

僕はそれ以前に2回、無断欠勤していた。

めまぐるしく変わる社内の状況に半ばボイコットする形で、三菱商事を一緒に辞めて、一緒にIQ3に転職
して、一緒に世田谷ハウスに住んでいた相棒の功と「今日は会社行くの止めるか。」という、中学生が
学校をサボるかの如く、僕達は一緒に世田谷ハウスに居たことが2回あった。

僕は会長のケネスに呼び出されて、「あと一回無断欠勤したら解雇します。」という警告を受けていた

意図的では無かったにせよ、3回目の無断欠勤が現実となり、クビになった。

内心、ホッとした自分が居た。

「これで自由になれる。」

旅に出ることを決め、ポーランドの出張から戻り、ひょんな出逢いから、同期の功と一緒に転職を決め
たIQ3という日本初のeラーニングのベンチャー会社。

ビジネス界、教育界にインターネットで「革命」を起こすという大きな夢を描かせてもらえた。良い先
生にも沢山、出逢わせてもらい、やりたいことも思いっきりやらせてもらえた。ネパールにアドベンチ
ャーレースをしかもVIP待遇で観戦に行くチャンスももらった。そして、桝田琢治氏という同郷、同い年
のカリスマロングボーダーにも逢わせてもらえた。(因みに、僕が撮った桝田氏のインタビュービデオ
は、テキストをおこして、その後IQ3のインタビュー記事に使って貰えた。)

悔いは無かった。たった3ヶ月一寸だけど、やりきった感覚があった。「これで良かったんだ。」不思
議と、清々しい気持ちだった。

大学を卒業して、就職活動の流れに乗って三菱商事に入り、IQ3に転職。今まで、とにかく突っ走って来
た。そして28歳の夏、僕は突然、自由の身になった。何処にも属さない、肩書きも何も無い、ただの
中渓宏一になった。

僕はその感覚を余り理解しきれないまま、地元鎌倉の腰越海岸で行われている、Typhoon Tour最終日の
試写会に向かった。

小さなスパゲティーレストランでの試写会。地元、鎌倉での試写会。僕は5回目のOrigin of Blueを見
ながら、だんだんと自分の「自由」をかみしめ始めた。

Typhoon Tour最後の夜、僕は桝田氏の実家に泊まりに行った。

Tourのメンバーと一緒に腰越の家で一夜を過ごした。なんだか、この5日間が夢の時間の様に感じられ
た。本当に、台風の如く、この連中はアメリカ西海岸から現れた。

次の日の朝、彼らはやっぱり台風みたいに腰越を出発、空港に向かっていった。

僕は台風にさらわれるが如くこのツアーの虜になり、気が付いたら、生涯で初めて自由の身になって、
腰越の桝田氏の実家の前に一人立っていた。

その日から、僕の夏休みが始まった。

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2007-12-24

究極のアドベンチャーレース、レイドゴロワースを観戦に行く(本出版します!第3回)

究極のアドベンチャーレース、レイドゴロワースを観戦に行く(本出版します!第3回)
今日はクリスマスイブ。

ドームハウスから一歩も出ない生活3日目。巷がどんなにイブで盛り上がっているのか、ここ、ドーム
ハウスに居ると全く分からない。

テレビも無いので、せいぜいネットのニュースを見る位。

皆様、どんなクリスマスイブをお迎えでしょうか?

僕達は忍路のご近所さんの新平ちゃん宅を訪問します。

ここ数日、結構温かくて、大分雪が溶けてきました。

でもバッチリ明日も雪が残ってそうなので、ホワイトクリスマスです。

ホワイトクリスマスなんて、何時振りだろう。
というか、人生で多分1回しか経験してないです。ホワイトクリスマス。

97年はプラハでホワイトクリスマスを迎えました。でも何やっていたかは全く覚えていません。

昨日はハリーポッターを見ました。面白かったです。あれ見てると、魔法使いってホントに居るんじゃ
ないかと思います。

そしてそして、中国に居るポールが創ったクリスマスビデオはこちら。必見です。
http://www.earthwalker.com/santaclaus_jp_320.wmv

それでは、今日書いた文章です。


=====================================


「究極のアドベンチャーレース」と言われるレイドゴロワーズ観戦の為の初めてのネパール小旅行。僕
は、IQ3のコンテンツにするべく、ずっとこの旅の様子をデジタルビデオカメラで撮っていた。今、この
映像を是非見てみたいが、残念ながら手元には無い。(IQ3のオフィスの何処かに眠っていたことだろう
。)

第10回記念大会のスタート地点はチベットのラサ。標高5000mだ。ゴール地点がインドのジャナ
クプールで標高が0m。このレースは全長880キロ、標高差5000mを10日間以内でゴールする
という壮大で過酷なレースだった。

僕達はチベットとネパールの国境近くのベースキャンプで選手が到着するのを待ち受けた。レースが始
まって二日目。

このレースでは人力以外は一切禁止。5人の選手の中には最低一人の女性が加わり、そこに2名のサポ
ートクルーが付く。

僕がこのレースの観戦に行けたのは、日本チームのサポートクルーをしていた中村典幸くん(以降「の
り君」)に出逢ったからだった。

IQ3は渋谷の桜丘にあった。会社の近くのネパール料理屋でレイドゴロワースの説明会があって、その説
明会を覗いた坂手社長がそのパンフレットを貰ってきて、「これ、面白そうだね。」と何故か僕にその
パンフレットを手渡した。

「アドベンチャーレース」という、今まで余り聞いたことのないレースの存在を知り、僕は興奮した。


早速次の日、説明会の主催者を訪ねた。それがのり君だった。のり君はこのレースに参加する日本の2
チームのスポンサー探しをしていて、結局この出逢いが機で、IQ3がそのスポンサーの一つに名乗りを上
げることになった。

合計10人の選手達はリュックの肩ストラップの部分に小さなIQ3のロゴマークを付けていた。ほんの小
さなロゴマークだったが、リュックを背負って走っている選手の丁度鎖骨の辺りにロゴマークが見える
様になる。IQ3はスポンサー料として2百万を支払った。

「そうか、こんな風にしてスポンサーを募っていくからスポーツ選手はこんなスケールの大きいレース
に参加出来るんだな。」
商社では工作機械の販売担当だったから、こういった、言わば華やかな世界とは無縁だったので、そん
な仕組みが分かるだけでも新鮮だった。

そして、のり君から連絡があった。「レース観戦に来ませんか?」
ネパールまでの交通費は自前だけど、後はレース主催者が面倒を見てくれるということで、僕は早速社
長から許可を得て、他の皆がゴールデンウィークもほぼ返上で仕事する中、迷うことなくネパールに行
くことにした。

ネパールに着き、チベットとの国境沿いのベースキャンプに到着すると、早速のり君に再会出来た。

ベースキャンプが作られた場所は標高2千メートル位の谷間で、川が流れていた。そこにサポートクル
ーとメディア、主催者がテントを張っている。本部テントはかなり大きくて、何個も横に繋げられるタ
イプで、ちょっとしたコンプレックスになっている。インターネットの回線も入り、メディアのスタッ
フはノートパソコンでレースの状況を本国に報告している。スタッフの皆はカーキ色のシャツを着てい
るから、戦時下の対策本部みたいな雰囲気があった。

チベットから国境を越えて選手がそのベースキャンプに到着するまでには未だ時間があった。

ベースキャンプには総勢200名程が居て、ちょっとした村の様になっていた。フランスを始めとする
ヨーロッパ各国、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、日本のサポートクルー、やスタッフ
が集まり、そこに地元のネパール人も加わって、国籍豊かな村だった。

夜は屋外に作った特設スクリーンで、チベットでのスタートシーンが放映された。撮影が出来るのはレ
イドゴロワースの主催者だけで、流石フランス人。その映像は洗練されていて、とても昨日とったもの
を編集したものとは思えないほど格好良い映像だった。

何も無いネパールの谷間で、満天の星空の下、世界から集まったアドベンチャーレースクルー達とチベ
ットから届いたレースの映像を見る。それだけで十分刺激的な体験だった。

そしてこのネパール・レース観戦体験は、二日目以降、もっと刺激的になっていった。

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2007-12-23

Lucky Number 333 (本出版に向けて 第2回)

Lucky Number 333 (本出版に向けて 第2回)
昨日、今日と殆ど家から出てない。昨日の夕方、ちょっと散歩に出て、今日に至っては、本当に一歩も
家から出ていない。

でも快適なのが不思議だ。このドームハウス、窓からは海しか見えないので、窓の向こうには常に広々
とした景色が広がっている。昨日、今日と晴れていると、遠く、石狩の山脈も見えたりして、もう言う
こと無しの景色。

最近は朝起きると、ヨガをする。1時間弱。これすると、一日調子が良い。
チェーンソーで薪を切るのも、ちょっとづつ慣れてきた。今日はかなり太い切り株に挑戦。これがなか
なか楽しい。薪はかなりのストックがあるのが有難い。

で、お風呂は朝、夕と2回入る。これまた、海が見えるお風呂なのだ。午前中に備え付けのボイラーで
温めて、蓋をかぶせておけば、ちょっと温め直せば又、夕方にも入れる。何しろ風呂好きなので、ここ
のお風呂には大満足。

で、そんなこんなの合間に本出版に向けて、書き書きしています。

今日はこちらでございます。

======================================
(昨日からの続き)

この会社を設立したケネスは「一休さん」が好きで、「一休さん」からIQ3の名前を思いついたそうだ

僕が転職を決めた時は、この会社の名前はMetasysだった。その後、名前がIQ3に変わった。

僕は数字の3に御縁がある。

高校3年生の時、僕の出席番号は、3年3組33番だった。大学に入り、学生番号を見ると、経営学部
の333番だった。そして、三菱商事に就職。三菱はその名の通り、菱が三つで三菱。そして、入社し
て寮に入って驚いた。なんと部屋番号が333号室。

そして、僕は何時しか三軒茶屋の世田谷ハウスに引っ越して、転職したら、なんと転職先の会社名がMe
tasysからIQ3に変わった。

因みに三軒茶屋はその名の通り、その昔は三軒の茶屋が並んでいたそうだ。僕が住んでいた世田谷ハウ
スは正確には下馬3丁目で、世田谷ハウスの斜向かいには喫茶店があり、そこの住所が三軒茶屋1の1
の1だった。正に「三軒茶屋」に呼ばれて僕は世田谷ハウスに引っ越して来た気がする。

3は僕にとってはラッキーナンバー。これが「666」だったりするとちょっと怖いけど、33とか、
333は好きな数字だ。
ということで、僕は不思議な御縁を感じて、IQ3で働くことになった。

日本初のeラーニングの会社。僕は営業部のコンテンツ製作担当として、インターネットで授業配信出来
る可能性を秘めた先生に逢いに行くのが仕事だった。

これはとても面白かった。何しろ、自分の興味に従って、どんな先生にでも逢いに行ける。

僕は気功、整体、ヨガ、中国古代占星術、気学、空手、書道と興味のある先生にどんどん逢いに行った
。どの先生方も一流の先生で、そういう方達と話が出来るだけで楽しかった。

ただ、このラインナップで分かる様に、僕のチョイスは「東洋の神秘」的なものばかりで、「ビジネス
マンのスキルアップサイト」がキャッチフレーズのIQ3にとっては余り御縁の無いジャンルだった。

最初は3−4人だった営業の仲間はあっという間に10人を越え、その多くは外資系のコンサルタント
会社から来ていた。

それには理由があった。この会社を設立したケネスは何時の間にか会長になり、坂手さんという人がコ
ンサルタント会社から社長として引き抜かれて来て、その仲間がどっと営業部に入ってきたからだった

コンサルタント出身の精鋭達はパワーポイントを使っての資料作りの能力に凄く長けていて、ビジネス
マン向けのコンテンツの準備を着々と進めていた。

IQ3は所謂ベンチャー会社だった。米国のペンタゴンに勤務していたケネスが米国で始まったeラーニン
グの波が日本に来ることを見越してMetasys(IQ3の前身)を設立。そのビジネスプランになんと100
億円の値がつき、投資家達から36億円のキャッシュが集まってきていた。

ビジネスプランを書いただけで36億円ものキャッシュが集まるのだから、ITベンチャーとは凄い仕組
みだ。特に2000年はベンチャービジネスに世の中が沸いていた。

そして、ベンチャー会社の一つの大きな目標は株式上場すること。従業員はストックオプション(日本
語で言うと「新株予約権」)を持ち、一定期間内に、あらかじめ決められた価格で、所属する会社から
自社株式を購入できる権利がある。株式上場して株価に高値が付けば一山当てることが出来る。

IQ3でも勿論、このストックオプション制度が導入されていた。僕はベンチャー会社に勤める誰もが考え
る様に、「もしかしたら数年後は億万長者になっているかも知れない。」という、根拠の無い大きな夢
を抱いてこの会社に転職した。

「数年後には大金を手にして世界を旅出来るんじゃないか。」半分本気でそんなことを考えていた。い
や、半分じゃない。結構本気だった。

そんな一攫千金を狙ったビジネスマンが集まるIQ3。良く、ベンチャー会社で「ドッグイヤー」という言
葉を聞いた。ベンチャー会社では犬の年齢の如く、一年の間に普通の会社の7年分位の出来事が起こる
そうだ。

実際にそうだった。

結果から言うと、僕はこのIQ3に結局3ヶ月ちょっとしか居なかった。が、確かに一年以上居た様な感覚
がある。まぁ、7倍まで行かないが、「セミドッグイヤー」って感じ。

兎に角ベンチャー会社は時間との勝負で、ビジネスプラン通りの利益を、投資家と約束した時間内で如
何に実現するかが全てで、常に時間に追われている。

自分の懐を痛めずビジネスが出来るけど、人の褌で相撲をとるには、やっぱり覚悟が必要で、常に投資
家の顔色を伺わないといけない。

特にIQ3は36億円もの大金を投資してもらった訳だから、そのプレッシャーも大きかった。

渋谷の一角に作られたオフィスにはイタリア製の家具が並び、コンテンツ製作用の自前のスタジオが創
られて、インドからは恐らく世界トップ級だろうコンピューターの技術者が何人も雇われて来ていた。


そしてこれまた一流のコンサルタント会社から引き抜かれた営業部の精鋭達はどうやって会社に利益を
もたらすかに日々智恵を絞っていた。

そんな中、僕の動きはメインストリームから外れていた。「東洋の神秘」的分野の先生ばかりに逢って
いた。あきらかに主流になるコンテンツでは無かった。

僕は「趣味分野担当」という都合の良い担当を創り上げて、日々、興味のある先生方に逢い続けた。

当時、僕は気功にとても興味があり、是非コンテンツに「気功」を加えたかったが、「ビジネスマンに
はうけない。」とケネスに却下された。僕は営業部の中で「変わり者扱い」だった。「書道」のコンテ
ンツも是非創ってみたかったが、これも却下。

僕の当時の夢は、こういった東洋のコンテンツを集めて、英語版を作り、世界に発信することだった。


因みに、この夢は未だに良いプランじゃないかと思っている。世界に発信出来る書道や花道、茶道のeラ
ーニングのコンテンツ、きっと重宝する筈。

結局僕が製作を担当したコンテンツは3つで、一つは数学、もう一つはジャズの歴史、そしてもう一つ
は整体だった。

整体の先生は、中山先生と言って、「快整体研究所」という整体院を経営されていて、御自身は千唐流
という流派の空手家だった。

空手家は体のツボを全て理解している。ツボは急所でもあるからだ。

先生は「活殺自在になる」という本を書かれていた。相手を倒すための殺法(空手)と、施術のための
活法(整体)の両方を体得したことで人体に秘めた構造を深く理解した中山先生と逢うのはとても為に
なった。

僕は先生の空手のクラスに参加したり、整体所を訪ねたりと、快整体の理解に努めた。因みに、「快整
体」の意味は、文字通り快い整体で、ボキボキ言わせる整体と違って、心地よく、リラックスした状態
で身体を整え、心身を同時に好転させるというのが特徴だった。

僕は今まで武道には殆ど無縁で、精々高校の時に授業で柔道をした位だった。空手家の中山先生に出逢
い、武道に興味が湧いてきた。先生に逢うと、気が引き締まる思いがして、心地良かった。

中山先生の御指導の下、「一人で出来るツボ講座」というコンテンツが誕生した。あれは間違いなく、
世界初の「eラーニング整体」だった。

そんなコンテンツを創っている間に会社の様子が一変してきた。

Metasys時代から会社を支えてきた優秀な技術チームがどんどん退職して行った。

そして、なんと副社長のポールまで。僕は渋谷のベンチャー会社交流会でポールに出逢い、この会社に
転職した。ポールはネットスケープの立ち上げにも係わっていた程、インターネットの世界に精通して
いて、ケネスとポールの名コンビがあったからこそ、会社がここまで大きくなっていた筈だった。その
ポールが退社する。そのことは僕達にとって相当にショックなニュースだった。

会社の様子はたった2ヶ月程で大きく変わっていた。3月末には40人程だった社員は5月末には90
人近くになっていた。そして6月には、なんと7億円の予算を投じて、関東地方を中心に一斉広告が展
開された。

本木雅弘、川原亜矢子を使ってパリでロケされたテレビコマーシャルが流されて、雑誌や電車の中刷り
にも「IQ3」の文字が飛び交った。

商社時代にはこんな派手な広告に係わったことが無く、新鮮だった。毎朝、渋谷の会社に出勤すると、
駅前の東急デパートに「IQ3」の垂れ幕が掛かっているのが見えた。

この広告は6月末から本格的にサービス開始する予定で、6月一杯展開された。その頃から社内に不協
和音が聞こえ始めた。派手に広告を打つのはいいけど、肝心のコンテンツはまだまだ揃っていない。「
なんで7億円もかけて広告するんだ?」なんて声も聞こえてくる。

指揮系統も複雑だった。「ケネスとポール」コンビのカリスマ性に集まってきたMetasys時代からの従業
員達にとっては、新社長の坂手さんと会長のケネスのどちらの指示に従えば良いのか分からず、「船頭
多くして船山に登る」状態になっていた。

そんな中で、優秀な存在がどんどん会社を去って行ってしまった。

正に「ドッグイヤー」を体感した気がした。たった数ヶ月でこんなに会社の様子が変わってしまうなん
て。

三菱商事を同じ日に辞めて、一緒にIQ3に入社した功(イサオ)と僕は、三軒茶屋の世田谷ハウスに一緒
に住んでいた。会社から帰ると、功と僕は夜遅くまであれこれと会社の現状について意見しあった。

会社が決して良い方向に向かっていないことを二人共理解していた。

IQ3に居た3ヶ月と一寸の間は「苦あれば楽あり、楽あれば苦あり」で、辛いこと、楽しいことが両方あ
った。

5月のゴールデンウィークにはネパールに五日間行った。レイド・ゴロワーズというアドベンチャーレ
ースを観戦する為だった。日本のチームのスポンサーをIQ3が引き受け、何故か僕がIQ3代表として、VI
P待遇でこのレースを観戦しに行くことになった。渡航費は自前だったけど、最高の体験になった。

因みに、レイドゴロワースとは、(以下サイトから抜粋)

「レイド・ゴロワーズ」は、フランス人冒険家が考案したスポーツ・アドベンチャー・レースです。第
一回大会開催は、89年のニュージーランド。以降、コス タリカ、ニューカレドニア、オマーン、マダガ
スカル、マレーシア、アルゼンチン(パタゴニア)、南アフリカ、エクアドルと地球の未開の大自然を
舞台に開催 されてきました。第10回記念大会の今年は、チベットの広大な高原とそこに聳え立つヒマラ
ヤの山々が舞台となりました。「レイド・ゴロワーズ」のテーマは “Explore your nature”。つまり
、レースの舞台である大自然でゴールをめざし、順位だけでなく参加者自身の人間性や本性といった自
分自身を見つけることも目的とし た究極のレースといえます。動力といえるものは一切使用不可。参加
メンバーは知力と体力、技術とチームワークだけを駆使して、約12日間で 500〜700kmの路無き道をアシ
スタントの協力を受けながら最終ゴールを目指します。チーム構成は5人の選手とアシスタント2人の計
7人。ただし、選 手5人中、最低1人の女性を含むことが原則とされ、このレイド・オリジナルルールで
様々なドラマが生まれています。」

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2007-12-22

脱藩

脱藩
12月22日

今日は冬至。一日で一番日が短い日。

忍路の天気は晴れ。気持ち良い一日だった。

さて、これからこのブログに新しい試みをして行きます。

自分的にとても嬉しいニュースなんですが、

ジャジャーン。

本を出します。

来年の6月予定です。

タイトルは未だ決まっていません。

兎に角、先ずは自分の人生を書き綴ってみようと思います。

人生で初めて、これから数ヶ月は「書くこと」に集中します。

ということで、このブログにその内容をどんどん載せてみようと思います。

今は兎に角、時系列で自分の人生を振り返っています。

生まれてから社会人までを既に書いたのですが、

このブログにはその社会人からを載せて、日々更新していきます。

あ、それから昨日、今更ながら、「Day after tomorrow」を見ました。
友人が、「あの映画は科学的根拠に基づいて創っているらしいよ。」と聞いたので。

いやいや、ビックリしました。あんな日が来るのでしょうか。
忍路は未だあそこまで寒くないので、薪ストーブで快適に過ごしています。
ハリウッド映画は久しく見ていませんでしたが、確かに面白かったです。
あいちゃん的にはイマイチだった様ですが。

ということで、以下、今日書いた僕の社会人時代の話です。

======================================

そして、僕は同期の郷司功(ゴウジ・イサオ)と一緒に2000年3月24日付けで丁度6年間務めた
三菱商事を退社した。

3月24日は、坂本龍馬が土佐藩を脱藩した日だった。

三菱の創始者、岩崎弥太郎は坂本龍馬と同じ土佐藩出身で、海援隊を経済的に支えた人物。その三菱を
辞めるのは、ちょっとした脱藩気分だった。

今そのことを考えると、会社に属するということは、江戸時代で言う「藩」に属することに近い感覚な
のでは無いだろうか。

江戸時代の武士は刀を差して、チョンマゲをして、藩に忠誠を誓った。開国して資本主義になった現代
、サラリーマンはスーツに身を包んで会社に忠誠を誓う。

大学4年の6月、三菱商事に内定が決まり、母親は泣いて喜んでいた。僕は一生サラリーマンとして生
きていくことに然程疑問を感じずに、三菱商事で働き始めた。その会社を辞めること、それは正に、僕
にとっての「脱藩」だった気がする。

坂本龍馬は脱藩して浪人になったけど、僕とイサオは転職したので、正確には「藩替え」した訳だ。

転職した先は「IQ3(アイキュースリー)」という名前の日本初のe-ラーニングの会社だった。

アイキュースリーというと、IQが3しか無い、頭が悪い人の様に思われてしまうが、正確にはIQの
三乗という意味で、アイキュースリーのサイトで勉強すると、IQが三乗になりますよという意味だっ
た。なかなか面白いネーミングだったと思う。

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2007-12-17

「ソーシャル プレーヤーへの10の質問」

「ソーシャル プレーヤーへの10の質問」
先日、株式会社グローナビが主催して下さった講演に参加して下さった酒井さんは社会貢献活動の広報
サポートをしているNPO「ソーシャルコンシェルジェ」のメンバーで、以下記事をサイトに載せてくれま
した。

僕の前に記事を書いていたのが、JEN(Japan Emergency NGO)の事務局長、木山啓子さんでした。木山さ
んとは、昨年の湘南でのキャンドルナイト以来、新潟県十日町での植樹イベント、アースデイ北海道と
、何度もお逢いさせて頂いた「素敵な」女性です。

いやいや、木山さんに続いて書かせてもらうなんて、めでたいです。

「ソーシャルプレーヤー」って何だか格好良い響きです。

「ご職業は?」

「ええ、ソーシャルプレーヤーです。」

みたいな感じでしょうか。

「ソーシャル プレーヤーへの10の質問」
木を植えて歩く男

中渓 宏一
http://www.socialconcierge.org/interview/84.html

質問1:どのような社会の問題を解決しようとして活動を始めたのですか?

自然の大切さ、偉大さをともすると忘れてしまいがちな現代の社会に、植樹を通して、又、歩く旅の楽
しさを伝えることを通して、今一度、認識してもらう為。

僕は2000年から3年9ヶ月、世界放浪の旅をしていました。それまで6年間はサラリーマンをして
いました。旅が続くに連れて、僕の興味は、都会の生活から、自然の中の生活へと向いていきました。
やっぱり地球の一番の財産は自然なんだということを体で感じることが出来た貴重な体験でした。

そして、旅先の南アフリカで16年間世界中を歩いて平和の木を植え続けるポール・コールマン氏に偶
然出逢い、僕の「歩いて木を植える旅」が始まりました。

「歩いて木を植える旅」は、旅で出逢った方達と1本、1本、一緒に木を植えていくという、非常に地
道な活動ですが、その分、一緒に木を植えた方達との強いパイプが出来上がります。この草の根のパイ
プがどんどん繋がっていった時に、何時しか大きな力に変わることを信じて、この活動を続けています

質問2:解決するための、具体的にどのような活動をされていますか?

主に小学校で総合学習の時間を頂いて、植樹活動を行っています。その際には、木の役割についてのお
話をします。木は、二酸化炭素を吸収するなどの色々な役割がありますが、特に、雨を降らせる大事な
地球資源であることをお話しています。これは僕も知らなかったことです。

「大地に雨が降ります。大地に染み込んだ雨水は、木の根から吸収されます。根から吸収された雨水は
、幹を伝って葉に届きます。葉に届いた水は、葉の表面に日の光が当たることで、大気中に蒸発します
。そして雲になります。この雲が又雨を降らしてくれます。つまり、雨雲は木から作られる訳です。勿
論、海や湖の表面からも水が蒸発して雲が作られます。それと同時に、雨雲の多くは木から生まれてい
るのです。」そんな話をした後に、校庭で生徒さん達と一緒に木を植えます。

本州であれば、椎、タブ、樫など、その土地に合った木を植えています。それからもう一つ、バックパ
ックに寝袋や着替えを詰めて、時には野宿もある、「歩きの旅の楽しさ」もお話します。自然に親しむ
には、歩きの旅が最適です。将来、お話を聞いた子供達がバックパックを担いで旅に出てくれたら嬉し
いです。

質問3:活動の支援を希望する場合は、具体的にどのようなアクションを取れば良いですか?

歩いて木を植える旅は自由参加の旅です。一緒に歩いて木を植えることで、この旅の楽しさを体で感じ
てもらえるのが一番の支援になります。僕がこの活動を始めるきっかけとなった、16年間世界を歩い
て木を植えているポール・コールマン氏は、Earth Walker という愛称で親しまれています。

僕は、世界中にポールの様に歩いて木を植える人達, Earth Walker Tribe ( 歩いて木を植える種族み
たいなイメージでこの名前を思いつきました。)が沢山増えたら良いなと思っています。

或いは、「家の裏山を一緒に歩いて木を植えましょう。」という様な御提案も嬉しいです。2−3日の
ショートウォークや日帰りウォーク、地域で管理している山での植樹など、どんなスタイルでも結構で
す。

そして、この活動を広める手段として、ラジオ、新聞、雑誌、インターネットなどのメディアの有効活
用そして講演会を積極的にして行きたいです。こういったメディアの紹介、講演の企画をして下さる支
援も募集しています

質問4:活動の最近のニュースはありますか?(メディア露出やイベント開催他、どんなことでも結構で
す)

10月29日に八ツ場ダム建設予定地の長野原町を出発して、11月11日に東京の芝公園で開催され
た、「土と平和の祭典」に向かって、2週間の「種まきアースウォーク」を開催、220kmを歩き、
小学校を中心に140本の木を植樹、寄贈しました。

今年7月1日に、青年版国民栄誉賞「人間力大賞」の特別賞を受賞しました。

来年6月に本を出版予定です。(瑛出版から)

ポール・コールマン氏が奥さんの菊池木乃実さんと共に、グリーンオリンピックウォークを実施中。

9月21日、国連が定める国際平和の日に香港を出発して、来年の北京オリンピック開催に向けて香港
―北京の3000キロ10ヶ月の壮大な徒歩、植樹の旅を実施中です。( www.earthwalker.com)

12月3日に、一緒に歩いていた佐藤亜衣さんと結婚しました。

質問5:活動はいつ、どのようにスタートしたのですか?

2003年1月31日、2年強、放浪した後に辿り着いた南アフリカのラスラーズバレーという自然の素晴
らしい場所でポールコールマン氏に偶然出逢ったことが、今の活動をスタートしたきっかけです。

20世紀に亡くなった全ての戦争犠牲者1億人の為に、1億本の植樹を目指すポールは、2000年に
母国イギリスを出発。2003年に南アフリカを中国に向かって北上中でした。僕はその壮大で深遠な
旅の内容に衝撃を受けて、ジンバブエから旅を共にしました。

1ヶ月のつもりで同行した旅でしたが、地球の為に人生を捧げるポールの姿勢に心打たれて、1年間ア
フリカで活動を共にしました。ポールの活動を支えるのは日本人が適任との「根拠の無い直感」でポー
ルを日本に誘い、2004年にはポールの富士山から広島、長崎までの徒歩、植樹の旅を企画、サポー
ト。

翌年には沖縄の戦没者23万人の為に23万本の植樹を目標にした「アースウォーカー沖縄プロジェク
ト」をサポート。そんな活動の中、何時しか自分でも徒歩、植樹の旅をするようになりました。

質問6:活動をしていて今までで一番嬉しかったことは何ですか?

一番嬉しかったことは奥さんに出逢えたことです。 

彼女とは昨年7月に宗谷岬から旅を一緒にスタート。今年の4月29日に、地元鎌倉に無事、沢山の仲
間と一緒に歩いて到着した時は最高の気分でした。その日、江ノ島の富士見亭から見た海の景色は忘れ
ません。

質問7:活動をしていて今までで一番苦労したことは何ですか?

ポールの初めての日本での徒歩植樹活動をサポートした時。名古屋から広島まで一緒に歩いた2004
年夏は極暑で、特に大阪を歩いた7月末は暑さと疲労がピークに。怒鳴り合いの喧嘩をポールと何度も
しました。期待していた成果が上がらず、気持ちも焦っていました。苦いけど、大事な思い出です。

後はポールと一緒にジンバブエを歩いた時。ジンバブエは独裁政権下で、こちらもやはりサポートを得
られずに苦労しました。食料不足に悩んだり、なんと象に追いかけられるなんてハプニングもありまし
た。

質問8:尊敬する方はいらっしゃいますか? 尊敬する理由は?

色々な方が居ますが、一人挙げるとすると、やはりポール・コールマン氏。彼の地球の為に「一心に」
歩いて木を植え続ける姿に「武士道」を感じます。それでいて、ユーモアと人情に溢れている人柄も尊
敬しています。

又、宗谷岬から与那国島までの歩いて木を植える旅を通して、沢山の尊敬すべき人に出逢いました。日
本は文化の深い、自然と共生する智恵を持った素晴らしい国だと実感しました。そういう意味では、旅
で出逢ったこの国の全ての方達を尊敬します。

ちょっと優等生的答えだったでしょうか。でも、本当にそう思っています。

質問9:NPO の運営に参考となるWebサイト、雑誌、書籍、TV、イベントなどありましたら、お聞かせく
ださい。

Food & Trees for Africa(http://www.trees.co.za/)
僕が南アフリカでお世話になったNPOのFOOD & TREES FOR AFRICA はアフリカの食文化の向上と緑化を推
進する素晴らしいNPOです。南アフリカは政府とNPO の連携が非常に良く取れていて、このNPOは環境省
と密に連携を取って活動していて、これぞNPOと言った感じです。 CEOのジャネスは魅力的な女性です。

ユナイテッドピープル株式会社(http://www.unitedpeople.jp/)
クリック募金サイトを運営している友人の会社です。「国際的に活動しているNGOの活動資金をクリック
募金で。」という方は是非コンタクトしてみて下さい。

質問10:10年後の展望をお聞かせください。

僕のライフワークとしてのテーマは「歩いて木を植える旅」と自給自足です。10年後も歩いて木を植
える旅を続けていたいです。10年後には、家族で歩いて、自分達で育てた苗木を植えて行きたいです

そして、自給自足。

自分の畑と田んぼ、一反強を持って、美味しい野菜、お米を作っていたいです。出来れば湧き水が近く
にある環境で。そして、そこに気の合う仲間家族が居ればなお良しです。で、波乗りが出来ちゃう環境
だったら更に更に良しです。

21世紀は「油と種と水」が大事だそうです。この3品目をきちんと自分の住んでいる地域で管理する
生活をしていたいです。

油(Oil)、種 (Seed)、水(Water)の頭文字を取るとOSEWA になります。油と種と水をそれぞれの地域で管
理する、OSEWAプロジェクトを各地で展開して行けたらと思います。

それから、自分達で植えた木で、家を創りたいです。今、僕達は小樽にドームハウスを借りて住んでい
ます。ドームハウスは耐震性に優れ、少ない木材で造れる為、これからの建物と言えます。お金をかけ
ず、自分達で植えた木で家が創れたら最高です。

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2007-12-16

ドームハウスからの眺め

ドームハウスからの眺め
雪が降って、こんな景色になりました。

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白銀の忍路

白銀の忍路
昨日から良く降りました。朝起きたら一面、白銀の世界。

ロマンチックだなー。

ドームハウス周りを雪かきしました。

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2007-12-14

結婚式の写真 麻心・12・8

あかちくんが撮ってくれた写真です。

http://picasaweb.google.com/higeee/128Magokoro

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「エコロジーとエコノミー」

「エコロジーとエコノミー」
小樽のドームハウスに帰ってきた。

景色は一変して冬景色。
あいちゃんのお父さんが、僕達が居ない間に、玄関周りに立派な手摺付きの階段を創ってくれていた。
これで、雪が積もっても滑る心配がない。

薪ストーブ用に、物置に立てかけてあった角材をチェーンソーで小さく切る。

冬支度。ちょっぴり「北の国から」気分。

でも、今日は雪の変わりに雨。で、今は大分風が吹いている。
今年はどんな冬になるのかなー。

薪ストーブ、温かい。やっぱりいいなー。ドームハウス。

12日の大手町カフェでの講演、楽しかった。

種まきウォークにも参加してくれた武蔵くんとうづ芽ちゃんの新ユニット、「うたた」の優しい演奏で
始まった講演会。モアトゥリーズの水谷くんや、池田さんとのトークもあって、東京滞在を締めくくる
夜になった。

うたたが、なんと「歩く人」というオリジナル曲を創って披露してくれた。録音したので、ドームハウ
スでゆっくり聴いてみよっと。

そして、うづ芽ちゃんがとても為になる本をくれた。

サティシュ・クマールさんの講演の本、「土と心と社会」。
全部、内容をここに書きたい位に良い本なんだけど、今日はその一部だけ。

「エコロジーとエコノミーという言葉があります。環境学、生態学のエコロジーと経済学のエコノミー
ですが、この二つの言葉はとても良く似ています。それは同じ言葉から来ているからです。両方ともEC
O(エコ)という文字が入っています。ECOの語源である古代ギリシア語のOICOS
(オイコス)は家、住む場所という意味です。そして本来、この地球、大地はわたしたちの家、住む場所
なのだという意味なのです。

エコロジーという言葉には、ロジックという言葉がついています。ロゴスです。これは大地、つまり住
む場所についての知という意味です。それに大してエコノミーというのは住む場所についての運営の仕
方、マネージメントの仕方という意味です。

現代の社会はどうなっているかというと、エコノミーばかりで、エコロジーがないがしろにされている
のです。つまり、この家をどうやって運営するかということばかりにみんな忙しくて、その場所、家と
いうものを知らないということです。それがどんな場所であるかを知らないで運営することは出来るで
しょうか。

これは逆立ちした状態です。本来はエコロジー、つまりこの場所がどんな場所であるかを理解すること
が中心であるべきです。エコノミー、それをどうやって運営していくかというのは副次的なもの、二次
的なものです。つまり、エコノミーというのは、エコロジーの中の一分野であるわけです。」

随分長い引用になったけど、これは目からウロコの言葉。

先ず、自分達が住んでいる場所を良く理解してから、その運営方法を決めていく。納得。僕達はこれか
らも、歩いて木を植える旅を続ける中で、自分達が住んでいる地球のことを肌で理解して、それを伝え
ることを仕事に出来ればと感じています。

そして、僕にとっては初、北海道での越冬。こちらも楽しみでございます。

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2007-12-11

今晩の講演のお知らせ:大手町カフェで、午後7時から。入場無料の講演会です。 

今晩の講演のお知らせ:大手町カフェで、午後7時から。入場無料の講演会です。 
皆様、是非御越し下さい!

種まき大作戦のサイトは以下です。

http://www.tanemaki2007.jp/sb.cgi?eid=40


=「Earthwalker」はポール・コールマン氏の愛称です。=

ポールは今、奥さんの木乃実さんと香港から北京オリンピックに向けて10ヶ月、3000キロの徒歩、植樹の旅を続けています。

www.earthwalker.com (アースウォーカーオフィシャルサイト)

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12.11(火)
種まき大作戦 Party
〜 EarthWalker 中渓宏一 Talk To You

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土の上で生きる幸せを伝えたい。
11月11日(日)大地に感謝する収穫祭『土と平和の祭典』から1ヶ月。
今年はじまった種まき大作戦の活動を締めくくる感謝祭として、
12月11日(火)東京大手町のOTEMACHI CAFEにて種まき大作戦のフリーパーティーを開催します。
メインゲストは今、注目のEarthWalker 中渓宏一さん。
2000年大手商社を辞め、「地球の何処に居ても生きていける人間になりたい」との思いから、世界放浪
の旅を始めた中渓宏一さん。
アフリカの地で16年間世界中を歩き“Earth Walker”と呼ばれ る「地球を歩いて木を植える男」ポール
・コールマン氏と偶然出会い、
一緒に旅をして以降、中渓さん自身も地球を歩き、木を植える旅を続けています。
そんな中渓さんから木を植え、歩く旅の楽しさ、のんきさ、幸せ、愛の物語を聞きます。
また、トーク後半は坂本龍一さんが中心となり本格的事業を開始したプロジェクト『more trees』の活
動についてコピーライターであり副代表の池田正昭さん、事務局長の水谷伸吉さんに登場いただき、木
を植え、育てていく事業についてお話を伺うとともに、中渓さんとのクロストークを繰り広げます。
さらに、種まき大作戦の主題歌を歌ったうづ芽が結成した新ユニット『うたた』によるライブもありま
す。
出入り自由。どなたでも参加OK。
エコカジュアルなフリーパーティーです。会社帰りにぜひどうぞ。

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【 日時 】: 2007年12月11日(火)
【 場所 】: OTEMACHI CAFE (大手町カフェ)
※地下鉄『大手町』駅E2出口徒歩2分/大手町ビル1F
http://www.o-cafe.com/
【 参加費 】: 無料 
※ただし、会場ではワンドリンク(@600)以上の注文、お願いします。

【 主催 】: 種まき大作戦 実行委員会
http://www.tanemaki2007.jp/

【 共催 】:OTEMACHI CAFE
http://www.o-cafe.com/

【 協力 】: 有限責任中間法人モア・トゥリーズ
http://www.more-trees.org/

【 問い合わせ 】:
種まき大作戦実行委員会 事務局
〒151-0051東京都渋谷区千駄ヶ谷5-16-10 1003
Tel.03-3351-2712
seed@tanemaki2007.jp

【 詳しくはWEB 】種まき大作戦 URL:http://www.tanemaki2007.jp/

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【 プログラム(予定) 】
MC:ハッタケンタロー(種まき大作戦 企画/プロデュース)/澤田佳子(種まき大作戦スタッフ/ライタ
ー)

18:30- OPEN/受付開始

19:00-19:05 START
・うづ芽LIVE 『一流千流一粒万倍』

19:05-19:50
トークライブ 『中渓宏一Talk To You』 
ゲスト:中渓宏一

19:50- 20:30
スペシャルクロストーク 『more trees』
ゲスト:
・池田正昭(コピーライター/エディター/中間法人 more trees 副代表)
・水谷伸吉(中間法人 more trees 事務局長)
・中渓宏一(木を植えて歩く男)

20:30-20:50
・うたた LIVE

※プログラムは出演者の都合により変更する場合がございます。

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プロフィール:
◎ 中渓宏一 【 koichi nakatani 】 (木を植えて歩く男)
1971年神奈川県生まれ。「地球上の何処でも生きていける人間になりたい」。 00年9月より放浪の旅に
出る。その途中の03年1月、南アフリカでポール・コールマン氏と運命的に出会い、歩いて木を植える旅
を1年間共にする。04年帰国後、日本で活動開始。06年は沖縄・与那国島から東京・代々木公園「アース
デイ東京2006」会場まで、翌07年は北海道宗谷岬から「アースデイ東京2007」会場までの徒歩植樹を敢
行。「種まき大作戦」では、総距離約220キロ、計14日間、群馬県吾妻郡から港区芝公園の「土と平和の
祭典」会場までの木を植え歩く旅「種まきEarthWark」を敢行。今、中渓を中心に、木を植え歩く旅の輪
が確実に広がっている。

中渓宏一URL: http://earthwalkerjp.cocolog-nifty.com/blog/

◎ more trees
文字通り「もっと木を!」というコンセプトで音楽家の坂本龍一氏と4人の発起人、102人の賛同人を軸
に07年7月に発足。「みんなで」「たのしく」「ただしい」をテーマに、日本では間伐を進め、海外では
熱帯林、砂漠、マングローブの植林を展開し、森づくりによる「カーボンオフセット」(排出したCO2を
相殺する活動)を進める。第一号の森として、高知県四万十川流域での森づくりが07年11月よりスター
ト。

more trees URL: http://www.more-trees.org/

◎ 池田正昭 【 masaaki ikeda 】 (コピーライター/エディター/more trees 副代表)
1985年、大手広告代理店に入社。コピーライター、雑誌編集者で活躍した後、ソーシャルムーブメント
のプランナーとして活動の場を広げ、06年にインプログレス株式会社を立ち上げる。01年、日本ではじ
めての都市型地域通貨「アースデイマネー」をプロデュース、03年にはヒートアイランド対策の国民的
ムーブメント「打ち水大作戦」を立ち上げる。06年に港区を拠点に環境問題に取組む企業コンソーシア
ム「みなと環境にやさしい事業者会議」の事務局長に就任。今年7月、中間法人モア・トゥリーズを発足
、副代表として、坂本龍一氏とともにプロジェクトを束ねる。

◎ 水谷伸吉 【 shinkichi mizutani 】(more trees 事務局長)
1978年東京都港区生まれ。学生時代にボルネオの植林ワークキャンプに参加し、熱帯雨林の問題に目覚
める。卒業後、熱帯雨林再生と経済性を同時に目指すボルネオの植林プロジェクトで数々の植林ツアー
のプロデュース。「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である」という二宮金次郎の言葉
を胸に、今年10月、中間法人モア・トゥリーズの事務局長として活動を開始。

◎ うたた【 utata 】
2007年11月11日、種まき大作戦の主題歌を唄ったうづ芽、そして大地と旅のベーシスト武蔵(Earth wa
lk参加)が「土と平和の祭典」で運命的に出逢い、その後、野山でセッションを重ねて結成された新ユ
ニット。「うたた」は何が原因となったかわからないがひどく感動する様子の意。こころに響く音をお
届けしたいという願いをこめて名付けられた。今回が「うたた」としての初ライブ。乞うご期待!

◎ 種まき大作戦
ニッポンの未来に向けて「持続可能な循環型田園都市」を実現するべく、「農」をテーマにした、さま
ざまな「種まき」の呼びかけをしながら、市民参加イベントを企画しています。これまで「Yae 種まき
ライブツアー2007」の他、「種まき勉強会」、「1000人の種まき大作戦」などを開催。また、テレビ、
新聞、ラジオ、雑誌、WEBなど各種メディアへの情報発信を通じて、「農業」、「食の自給」などの問題
の意識づけ、および「生命の源」である「種」と、生命を育む「土」への関心喚起を柱とした市民への
啓発活動を行いつつ、これまでにない新しいアグリカルチャー、「農」ムーブメントをつくっています

種まき大作戦 URL:http://www.tanemaki2007.jp/

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種まきアースウォーク、今晩講演会@大手町カフェ

種まきアースウォーク、今晩講演会@大手町カフェ
今晩7時から、大手町カフェで、種まきEarth Walkの講演会があります。入場無料なので、みなさま、
是非御越し下さい。

明日のお昼の飛行機で北海道に帰ります。

今回の2ヶ月ちょっとの東京界隈滞在を締めくくるイベントです。

いざ、冬の北海道!

なんだか凄いポスターをハッタさんが創って下さいました。

=「Earthwalker」はポール・コールマン氏の愛称です。=

ポールは今、奥さんの木乃実さんと香港から北京オリンピックに向けて10ヶ月、3000キロの徒歩
、植樹の旅を続けています。

www.earthwalker.com (アースウォーカーオフィシャルサイト)

それでは皆様、大手町カフェで!

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2007-12-10

御礼

御礼
結婚パーティー、最高でした。

僕達は幸せ者です。

昨日の夜、龍ちゃんと香織ちゃんと4人で麻心で夕食をして、
「うーん、無事終わったね。」という気がしました。

この二人無くして、このパーティーを語れません。

こうやって書き始めると、きりが無い程、皆に創ってもらったパーティー。

未だ余韻に浸っています。


そして、ポールと木乃実さんが中国から、プレゼントをくれて、電話をくれて、ビデオメッセージを送
ってくれました。

www.earthwalker.com/wedding_koichi_640.wmv

www.earthwalker.com/wedding_koichi_320.wmv

エチオピアのラリビラに居るてっちゃんもメッセージをくれました。

一緒に時間を過ごして下さった方達、

ありがとうございます!

先ずはブログにて御礼申し上げます。

イェイ!

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2007-12-07

結婚パーティーのお知らせ 12・8 pm5:00〜

結婚パーティーのお知らせ 12・8 pm5:00〜
明日、鎌倉でパーティーします。お時間のある方は是非起こし下さいませ。

=====================================

清秋の候、皆様、いかがお過ごしでしょうか?

私この度、昨年春より一緒に歩いて木を植えている佐藤亜衣さんと結婚を決意。

皆様に感謝の思いを込めて、鎌倉でささやかながら結婚パーティーを開催することになりました。

こじんまりとしたお店で和気藹々、楽しい一時を一緒に過ごせたら幸甚です。

詳細以下となります。

日時:12月8日(土曜日)4時半から夜まで。  
場所:cafe & bar 「麻心」 由比ガ浜の見える気持ち良いお店です。

鎌倉市長谷2-8-11(2F)(国道134号線沿い)
Tel&fax (0467)25-1414

http://www.magokoroworld.jp/


皆様のお越しを心よりお待ち申し上げて居ります。

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2007-12-05

子育ての秘訣とは?

子育ての秘訣とは?
先日結婚式をした龍口明神社(五頭龍)と、
その奥さん(弁天様)の神様が居る江ノ島神社に木を植えた。

榊とシャラの木を一本づつ。

子育て雑誌「TOKOTOKO」の取材を兼ねて。

今日の植樹の様子が掲載されるのは来年の3月か4月だそう。

「TOKOTOKO」の取材チーム、朝霧ジャムで一緒だった智子ちゃんを始め、皆ほんわかチームで、天気も
良く、ピクニック気分の楽しい一日だった。

子育てと言えば、龍口明神社の宮司さんが、先日とても良い話をしてくれた。

ずばり、子育ての秘訣。

子育ては、
「五つ教えて、三つ褒めて、二つ叱る。」のが秘訣だそう。

褒め過ぎても、叱り過ぎても駄目。で、そこには常に教えが必要。

ふーん。これは覚えておこうっと。

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2007-12-04

天女と五頭龍の伝説

天女と五頭龍の伝説
昨日、結婚しました。

場所は鎌倉市にある龍口明神社。

サイトで見つけた神社の説明です。

因みに、龍口明神社の宮司さんと、江島神社の宮司さんは本当にご夫婦で、昨日はこのご夫婦に結婚式
を主宰して頂きました。なんとめでたい。

皆様、これからは夫婦共々、宜しくお願い致します。

江の島の創世伝説である「天女と五頭龍の伝説」に登場する神社で鎌倉市で最古の538年創建。

伝説では、龍口明神社の玉依姫命(五頭龍)と江島神社の弁財天(天女)は夫婦とされています。鎌倉
の深沢山中の沼にいて悪行をかさねていた五頭龍が、行いを改め天女と結婚し村人のために尽くしまし
た。死後も江の島の対岸にある現在の龍口山となってこの地を守ったとされています。

村人が五頭龍を「龍口明神」として祀り社を建てたのが「龍口明神社」です。

今から1500年も昔、鎌倉の深沢山中にある底なし沼に五つの頭を持つ悪龍が住みつき、村人を苦しめ、
子供を生贄にとることからこの地を「子死越(こしごえ)」と呼んでいました。

あるとき、子死越前方の海上に雲が垂れ込め、天地が激しく揺れ動いた後、天女が現れました。そして
雲が晴れると、海上に島が出来ていました。これが現在の江の島です。

天女の美しさに魅せられた龍は、結婚を申し込みますが、悪行を理由に初めは断られました。しかしそ
の後、行いを改め、天女と結婚することができました。

それからというもの、五頭龍は、雨を降らせたり、台風をはねかえしたり、生まれ変ったように村人の
ために尽くしました。しかしその度に、五頭龍の体は衰えていきました。

ある日のこと、五頭龍は、天女にむかって「わたしの命はもう尽きようとしています。これからは、山
となっていつまでもこの地をお守りしたいと思います。」と言い残すと、対岸に去って山になりました

これが、江の島の対岸にある現在の片瀬山(竜口山 たつのくちやま)で、山の中腹には龍の形をした
岩があって、江の島の天女を慕うように見つめていたということです。

村人は、五頭龍を「龍口明神」として祀り、社を建てました。これが「龍口明神社」です。そしてこの
伝説の天女が、江の島に祀られている弁財天と言われます。

今でも江の島神社では、六十年に一回「巳年式年大祭」を行い、この日には、龍口明神から五頭龍の彫
り物のご神体を神輿で江の島へ運び、弁天様とお会いさせています。

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2007-12-01

「地球からのメッセージに耳を傾ける」というチャンス

「地球からのメッセージに耳を傾ける」というチャンス
今日から師走。今年もあっという間だなぁ。

昨日、一昨日と、港区主催の「水と森会議2007」に出席した。

坂本龍一さんのお話を聞く機会があった。

ゆっくりと、言葉を選びながら、時にはちょっと笑いも混ぜて。「教授」と言われれば、確かに教授の
ような雰囲気があり、話に引き込まれる。

今までは、長い間、陸地の緑と、海とが、大体同じ位の量の二酸化炭素を吸収していたそうだ。

緑が減り、陸地の二酸化炭素吸収量が減った。そしてもう一つ、驚くべき事実が発見された。海の二酸
化炭素吸収量も減ってきているそうだ。

地球の変化。

生物多様性の専門家の先生も来ていて、「木を見て森を見ず」になっては良くない。というお話をして
いた。確かに、日々の身の回りの小さな変化に眼を向けるのは難しい。

地球規模の変化に眼を向けるのは、一般市民にはもっと難しいけど、こういう機会に実際地球に何が起
こっているのかを聞けるのはとても貴重だ。

京都議定書で決められた二酸化炭素排出量の削減の約束。

今まで、正直あまりピンと来なかったが、二日間、この会議に参加して、「不都合な真実」も見て、確
かに「二酸化炭素の排出を減らす。」ということが、人類の共通の課題であることが理解出来てきた。


ただ、それを日々の生活で実践するというのは、これまた次のステップで、なかなか難しい。

先日、パタゴニアの環境担当の篠さんとお話したら、篠さんは今年、たった1回しかペットボトルを買わ
なかったそうだ。アメリカの空港で、持っていたマイボトルの水筒の水を捨てられてしまい、已む無く
買った1本のペットボトル。こんな話を聞くと、ペットボトルを買う度に、篠さんが思い浮かんでしまう

そんな風にして、ちょっとづつ、人の意識は変わるのだろう。

港区では、あきる野市の森を20ha、「みなと区民の森」として管理している。杉を間伐をして、広
葉樹を植えて、自然に近い森に戻していく作業を進めている。

自然に回復するには、専門のNPOの方がアドバイザーになっている。

その中で、気になる言葉があった。

「緑の回廊」。

この言葉は、四国に行った時に初めて教えてもらった。

動物が山で生きていく為には、杉やヒノキでは無い、自然の森が必要で、その自然の森が、日本を北か
ら南まで、回廊の様に一本の線で繋がっているのが理想的だそうだ。

そうすれば、動物達はその「緑の回廊」を使って、日本中、何処でも旅が出来る。

「二酸化炭素の排出削減も考えながら、動物のことも考えながら、両輪で緑化を進めていけばいいんじ
ゃないか。」
そんなことを、これを書きながら思う。

僕は「歩いて木を植える。」という自分に合ったスタイルで、活動を続けて行きたい。

坂本龍一さんが始めたmore treesという団体が、バランス良く、国内外の環境団体の求心力として活躍
することを祈念している。

今日はちょっと真面目バージョンで。

森と水会議2007、大変勉強になりました。講演もさせて頂けたし。
池田さん、ありがとうございます。

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