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2007-12-29

2000年夏、世界放浪の旅をスタート(本出版に向けて・その6)

2000年夏、世界放浪の旅をスタート(本出版に向けて・その6)
僕はその頃、兎に角色んな人に出逢ってみたかった。色んな人に出逢って、自分の人間の幅を広げたか
った。

そして、8月上旬、僕は世田谷ハウスのグリンが青森の友人を「ねぶた祭り」のタイミングで訪れると
聞き、一緒に行くことにした。

僕はそれまで、日本の「夏祭り」を本格的に体験したことが無かった。地元の鎌倉で、特に僕が育った
地域は夏祭りというと、小学校の校庭に出店が出て、盆踊りのやぐらが真ん中にある位のもので、大し
た盛り上がりは無かった。

だから、ねぶた祭りはとても刺激的だった。町をあげての年に一度のめでたい祭り。「ラッセーラー、
ラッセーラー」と老いも若きも跳ねまくる。僕もいつのまにか、短パン一丁で地元の若者達と一緒に跳
ねまくっていた。青森というと、正直なんとなく暗いイメージを持っていたが、ねぶた祭りに参加して
、そのイメージが一掃された。
「なんとラテンな人達なんだろう。」

青森では、恐山に行ったり、大間岬で泳いだり(流れが急で危なかった)して、夏を満喫して世田谷ハ
ウスに戻った。ねぶた祭りで勢い付いた僕は、そのまま直ぐに荷物を纏めて、バイクで長野を目指した

目指した先は「いのちの祭り」だった。

「いのちの祭り」のことは、春から何度か耳にして気になっていた。一体どんな祭りなんだろう。なん
となく分かっていたことは、その祭りがもともと、原発建設反対運動から始まったということ位だった
。僕は、祭りの主旨よりも、「いのちの祭り」という名前に魅かれて、とにかく会場を目指してみるこ
とにした。

当時乗っていたのはホンダのMAGNAという250ccのバイクだった。社会人2年目のゴールデンウィー
クを使って、合宿免許で中型免許を取り、ハーレーに憧れて直ぐに購入した、なんちゃってハーレー、
銀色のMAGNA。エンジン音はやっぱり本物には全く敵わず、かわいい音だったが、見た目的には結構気に
入っていた。

三軒茶屋の世田谷ハウスから渋谷のIQ3には、いつも功と二人乗りでこのバイクで出社していた。

でも、遠出をしたことが無かったので、長野までMAGNAを走らせるのは、それだけで新鮮な体験だった。
中央道を軽快に走り抜けた。

2000年のいのちの祭り、会場は長野県槍ヶ岳の麓のキャンプ場。期間は一週間。僕は最後の3日間
に参加した。会場付近では、入場待ちの車が列を作っていた。想像していた以上に沢山の人が集まって
いる。

車のナンバーを見ると、鹿児島だったり、和歌山だったり、新潟だったり、日本中から集まっている感
じだ。会場に入り、辺りを見回す。会場はスキー場だったので、皆、山のあちこちにテントを張ってい
る。今まで余り出逢ったことの無い、ヒッピー的な人達が沢山居た。何しろ、ドレッド率が高い。日本
には、まだまだ自分が知らない世界が沢山あるんだとひしひしと感じた。

印象的だったのは、金森太郎君が2年の旅の末に完成させたドキュメンタリー「チベット・チベット」だ
った。上映場所が小高い山の頂上のリフト降り場で雰囲気も素晴らしく、2回観に行った。この映画を観
て初めて、チベットで何が起こっているかを知った。自身が在日韓国人で、旅に出て「移民」に興味が
湧き、モンゴル人のパオの中でダライラマの写真を見たのがきっかけで、チベットの現状をドキュメン
タリーすることを決意。最後はダライラマにまで謁見して旅を終えた。その間に撮り続けた100時間
の記録を1時間強に凝縮した内容は素晴らしかった。僕は、自分も旅の様子をビデオで撮っておきたい
と、「チベット・チベット」を観て思った。

そしてこの祭りのクライマックスは最終日のレイブだった。

夕方から土砂降りの雨。これは中止かと思いきや、一気に晴れ間が広がって、満天の星空で始まったレ
イブ。昼間は見なかった様な有象無象の連中がそれぞれ 思い思いのコスチュームで登場。夜中に演奏が
始まったABディジリドゥーというオーストラリア人は、電子ドラムを叩きながら、ディジリドゥーを吹
き、おまけに手元操作で電子音リズムを混ぜていた。静かめのリズムからどんどんテンポは激しくなり
、気が付くと皆、泥んこになって踊り狂う。「これがレイブか。」 と納得。なんだかタイムトリップし
て古代の祭りに参加した気分だった。

このレイブ明けの朝風呂で出逢った石川県のポンさんが教えてくれた。「アメリカに“バーニングマン
”って凄い祭りがあって、砂漠で何日間も踊り続けるんだよ。」
それを聞いて、僕は世界放浪の旅のスタートをこのバーニングマンにすることに決めた。

ひょんなことから自由の身になり、旅に出るチャンスを得たが、実際自由になると時間は幾らでもある
と思ってしまい、なかなか踏ん切りが付かなかった。先ずは自分が生まれた国、アメリカに行って見た
い。と漠然と思っていた処だったので、バーニングマンの話に僕の心が反応した。

8月8日、「いのちの祭り」が終わり、僕はもう一泊してから世田谷ハウスに戻った。主催者の人達と
も最後にゆっくり話しが出来て、大満足で会場を後にした。バイクで東京を目指しながら、これで「日
本の夏祭り」を味わったなぁと実感。

8月10日は鎌倉花火大会。これも鎌倉住民一押しの夏イベント。僕は一人で海に行くと、IQ3で秘書を
やっていた遠山さんにバッタリ出逢い、期せずして彼女と彼女の弟さんと3人で花火を見た。後年、彼
女が病死したことを聞いた。鎌倉花火は僕にとって夏一番のイベントだが、2000年以来御縁が無く
、ご無沙汰している。

日本の夏を満喫して世田谷ハウスに戻り、早速バーニングマンをインターネットで調べてみる。8日間位
の祭りらしい。8月27日から9月の3日までやっている。場所はネバダ州の砂漠の様だ。しかし、それ以上
の詳しい場所は何処を見ても良く分からない。

とにかく僕は9月1日のロス行きのチケットを買った。

8月31日、世田谷ハウスの皆が送別会をしてくれた。友達も沢山来てくれた。ここでの生活が本当に楽し
く、旅に出るタイミングを逃しそうだったので、9月1日、学校で言えば新学期みたいなもので、出発に
は丁度良いだろうと考えた。因みに、世田谷ハウスのメンバーは15世紀の大航海時代に一緒に船に乗
り合わせていたメンバーだったそうだ。前世リーディングをする聖龍さんが教えてくれた。僕はその説
明を聞いて納得した。国籍も年齢もバラバラだったけど、一緒に居ると家族の様な安心感があった。

もう一度、「何故旅のスタートがアメリカだったのか?」

旅の始めに自分が生まれた国をちゃんと見てみたい。そして、聞けばインターネット会社の勢いは日本
の比では無いというその現状も見てみたい。そして憧れの地ニューヨークには、ここ世田谷ハウスにも
居候をしていた香港人のローレンスも居るし、姉夫婦も居る。ということで、バーニングマンを機に先
ずはアメリカを旅してみようと決めた。

2000年9月1日、世田谷ハウスのゆきが功ご自慢のSAABのオープンで成田空港まで送ってくれた。未
だ旅に出る実感は無かった。

兎に角荷物は詰め込みまくって、巨大リュック2個分。ノートブックまで入れていた。

そして「いのちの祭り」で観た自主制作映画の「チベット・チベット」に影響を受け、急いで買ったデ
ジタルビデオカメラまであった。

空港が近づくと、なんだか不安にさえなってくる。なにせバーニングマンBurning manが一体何処で行わ
れているのか未だ分かっていないし、9月1日以降はチケット販売終了とも書いてあったしと、不安材料
は幾らでもあった。既に世田谷ハウスが懐かしい気もする。

ロスの空港に着いた。空気が清々しい。空が青い。匂いがアメリカっぽい。「おーー旅が始まった。」
少し興奮した。と、ターミナルを移動している間にビデオカメラを無くした事に気付いた。やれやれ、
この先どうなるのやら。

とにかく会場に一番近い空港、ネバダ州のリノに向かう。僕の思惑では、空港に着けば、バーニングマ
ンに行く人達でごった返している筈だった。
リノに着いたのは夜の8時過ぎ。気が付くと小さなターミナルに残っているのは僕一人。

「まずい落ち着かねば。」

空港から先ずはレンタカー会社を探した。大きな荷物を二つ持ち、僕はトボトボとレンタカー屋を目指
した。リノはカジノタウンで、何処となく場末感が漂う。

レンタカー屋のおばちゃんは70年代の映画に出てきそうなゴージャスな髪型だった。
「バーニングマンに行きたいんだけど、何処でやっているか知っていますか?」
「あんた、あんなクレイジーな集まりにわざわざ日本から一人で来たの?」
とおばちゃんは言った。

奥から旦那さんが出てきた。
「ブラック・ロック・シティーってとこだよ。だいたいこの辺で。」
と旦那さんが指す地図は砂漠の中だ。「よし。」大まかな場所が分かり一先ず安心。


車を借りて、ウォールマートでキャンプ用具を揃えて砂漠を目指す。間も無くオートキャンプ場を見つ
けてテントを張った。無料キャンプ場の様だ。「アメリカは自由だな。」なんて思う。

果たして明日はバーニングマンに辿り着けるのだろうか。日本を出発してもう随分時間が経った気がす
る。旅の一日目が無事終わった。

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