温泉地に歴史あり










福島県の郡山温泉まで来た。
ここは仙台でお世話になった、泉田さんのご親戚がやっている温泉宿で、明日まで2泊、泊めさせて頂くことになった。
飯坂温泉から、磐梯山の東側斜面を伝う様に奥土温泉、岳温泉、磐梯熱海温泉と、全旅連青年部の大々的なサポートの元、緩い山道をゆっくりと南下した。
学校も春休みに入り、ここ数日間は歩くことに専念している。
あいちゃん、遠藤君、さっちゃんと車通りの少ない山道を歩く。
4人で歩き、同じご飯を食べて、同じ温泉に浸かる。知らない者同士だったのに、何時の間にか気の合う4人に変わる。やっぱりこれがこの旅の醍醐味だ。
不思議な共通項がある。あいちゃんと遠藤君の誕生日が一緒。11月12日。
4人とも末っ子。因みに明石くん、鉄平くんも末っ子だなー。あ、園子ちゃんも。
先日、仙台のジュリアンが遠藤君に授けた「誕生日辞典」なるものがある。これによると、11月12日生まれの人は「セクシーなカリスマ」らしい。
因みに、さっちゃんは6月1日で、「世間の注目を集める人」、僕は11月2日で、「変える力を持つ人」らしい。中身を良く読むと、なかなか的を得ていて面白い。新しく出逢った人の誕生日を聞くのが遠藤君の仕事だ。
「セクシーなカリスマ」の男女2名を含んだ4名がお世話になった宿を紹介したい。
奥土湯温泉の川上旅館。福島市近く、土湯温泉の更に奥にある抜群のロケーション。その奥土のこれまた一番奥にあるのが川上温泉。日本秘湯の会のメンバーで、この会には全国180数箇所の温泉が入っているらしい。生まれて初めて、あんなに湯の花が浮かんでいる温泉に入った。身体がいつまでもポカポカと温かい。
川上温泉のオーナーの阿部さんから親身のサポートを頂いた。
これから行くルートのカラーコピー地図を下さり、行く先の旅館に声掛けをして下さり、荷物を峠の先にある「道の駅」まで運んで下さり、先に進んだ僕たちの様子を携帯メールで状況確認して下さった。
阿部さんからは日本の旅館の現状を聞く機会もあった。1泊2食付のきめの細かいサービスが売りの旅館が、全国展開するチェーンホテルとの価格競争を強いられているらしい。
昨年から各地の素晴らしい温泉旅館にお世話になる機会を頂いているが、旅館は日本文化を伝える大事な財産なので、是非、永く続いて欲しい。
奥土湯温泉、岳温泉共に歴史が古く、伊達政宗が病床に就いた際に、阿部さんの先代がやっている奥土湯温泉の湯を、先日お逢いした、仙台で温泉宿を営む佐藤勘三郎さんの先代が運んだそうな。なんともロマンのある話。
岳温泉は昔はもっと高地にあり、土砂崩れで今の場所に移る際には「鏡ガ池 碧山亭」の木村さんの先代が他の旅館の人達に土地を分けてあげたそう。
その岳温泉では、各旅館から出る生ゴミを集めて有機肥料にして農家に配り、出来上がった野菜をその農家から頂くという循環サイクルが出来ている。
岳温泉からは安達太良山が良く見えた。
磐梯熱海温泉でお世話になった「きらくや」のご主人の村田さんも旅が好きで、つい最近もトルコに2週間行ってきたそうだ。
磐梯熱海のぬる湯はその昔、荻姫というお姫様が難病を治す為に神様のお告げを元に探し当てたと言われる湯で、確かに気持ちの良い、いつまでも入っていられる湯だった。
以下、温泉の歴史をサイトから抜粋しました。
萩姫伝説 〜 磐梯熱海温泉の物語 〜
磐梯熱海温泉が発見されたのは今からおよそ800年前の鎌倉時代と言われており、次のような伝説が残っています。
南北朝時代・建武のころ、京に住む公卿の娘で萩姫という美しい姫が不治の病にかかり苦しんでいました。
ある夜、不動明王のお告げがあり「都を去る東北方、数えて五百本目の川岸に霊泉あり。それに浸かれば全快する。」 と聞きおよんだ姫は、侍女の雪枝を伴い都を旅立ち、幾多の困難辛苦の末、 ついに五百本目の川(現在の磐梯熱海温泉地内)にたどりつきました。
ここに湧き出るお湯で難病も全快し、この湯に深く感謝をして京へ戻ったと言われています。
以降、磐梯熱海温泉は美人をつくる名湯として名を広め、郡山の奥座敷として、 また、磐梯高原・会津方面の玄関口として賑わいを見せています。
抜粋以上
みちのくの温泉地を訪ねて、昔のことを思った。岳温泉で見た、明治時代の写真を見ると、なんとも風情がある。出発前に一反百姓じねん堂の斉藤さん御夫婦から頂いた「奥の細道」を読んでみる。偶然にも、石巻からここまで、殆ど「奥の細道」とほぼ同じルートを辿っている。ここ郡山から、白河、那須、日光を通って東京を目指す。
奇しくも、逆「奥の細道」ルートで、21世紀の江戸を目指すことになった。
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